Pachi's Blog Annex ~自薦&自選よりぬき~

『Pachi -the Collaboration Energizer-』の中から自分でも気に入っているエントリーを厳選してお届けします♪

『下り坂をそろそろと下る』を読みました - 嫌韓と新幹線と標準

オリジナルはこちら(2016/6/17)

 

この本、平田さんの「四国論」であり、「日本論」であり、「司馬遼太郎論」でもあるのです。

『琥珀色の戯言』 : [本]【読書感想】下り坂をそろそろと下る より

 

下り坂をそろそろと下る表紙

下り坂をそろそろと下る』というすばらしい本を読み終え、紹介ブログを書こうと思って皆がどんなことを書いているのかとググッてみたところ、最初に目に付いたのが上の一節でした。

一冊全体の要所要所がバランスよく捉えられていて、本の骨子はこのブログを読めば分かります。そして実際に、この読書感想を読んで本を購入したりAmazonのサイトに遷移している人も多いようです。

ただ、私個人としての「ここが一番おもしろい!」と感じたところは、『琥珀色の戯言』以外の読書感想ブログをざっと見ても、あまり取り上げられていないようでした。

それが『第五章 寂しさと向き合う–東アジア・ソウル、北京』です。

 

この良書が少しでも多くの人に興味を持ってもらえるように、私にとってのハイライトである第五章から数箇所ピックアップし、思ったことなどをコメントします。

 


 

ヘル朝鮮

いまの日韓のぎくしゃくとした関係は、下り坂を危なっかしく下りている日本と、これから下りなければならない下り坂の急勾配に足がすくんでいる韓国の、そ のどちらもが抱える同根の問題を、どちらも無いことのように振る舞って強がりながら、国を賭けてのチキンレースをしているようにしか見えない。

そしてその傍らには、青息吐息になりながらも、猛スピードで急坂を登っていく中国という巨人がいる。問題は一筋縄では解けないだろう

 

日韓ワールドカップ実行委員会の理事でもあった著者が、ベスト4になったヒディング率いる韓国への嫉妬が席巻したネット論調などを交え、さらにはここ30年の日韓関係の流れや「韓流ブームの反動」などを踏まえて書いた言葉です。

そして「ぎくしゃくとした関係」の背後には「人は誰でも自分に都合のいい情報を集めがち」というバーナム効果に下支えされた「確証バイアス」が横たわっていることと、ここ数年の嫌韓・嫌中ブームの不気味な広がりにインターネットが強く関与しているだろうと書かれています。

 

私はインターネットのポジティブサイドを信じている一人ですが、残念ながら、これは著者の言うとりで、今のネットが抱えているダークサイドの象徴的な現象だと感じています。

 

安全とは何か

 

新幹線は、絶対に事故が起きないことを前提にして制度設計がなされている(…)新幹線の運行実績は素晴らしいが、 しかし、事故はいつか起こるのだ。そして、もし事故が起こったとき、新幹線のそれは、相当に壮絶なものになるどうことは想像に難くない。欧米のライバル企 業は、高速鉄道の売り込みに当たって、当然、ここのところを突いてくるだろう。

「だって、原発は事故を引き起こしたじゃないですか」

 

世界最高峰の技術の結晶とも呼べる日本の新幹線が、なぜ「売れない」のか。なぜ海外への輸出が続々と決まらないのか。

一見分かりやすい論理的な回答だけではなく、文化的な要素からの分析がなされています。

 

一分の遅れに苦情が来る日本特有の「文化」の上に確立された、驚異的な(あるいはバカげた?)定時運行能力を、「時間通りのほうがいいに決まってい る」と疑わないのは一種の判断停止だとも書かれていて、その「文化」の下に押しつぶされている人々の忍耐や相互監視が私の頭には浮かびました。

そして最近、私は鉄道という公共交通機関が、ゆるやかに破綻に向かっているんじゃないかとぼんやり考えています。

 

文明の味気なさに耐える

 

1. 自国の文化を愛し、それを標準として他者にも強要してしまう人

2. 自国の文化を愛しつつも、それが他の文化にとっては標準とはならないことを知って、適切に振る舞える人

3. 自国の文化に違和感を感じ、それを強制されることに居心地の悪い思いをしている人。あるいは、自国の文化に自信を持てずに、他国の文化を無条件に崇拝してしまう人

4. 自国の文化に違和感を感じても、それを相対化し、どうにか折り合いをつけて生きていける人

 

2と4を増やすのが異文化理解であり、相互交流であると書かれています。

私たちはなぜ『自分たちの標準とするものが、世界の標準であるとは限らない』–この実に当たり前のことを頻繁に忘れてしまうのでしょうか。

 

それはおそらく、「自分たちの標準外」に触れる機会が圧倒的に不足しているからだと私は思います。

そしてその理由は、自らが標準外に触れる機会を避けているから。あるいはすぐ近くにあるにも関わらず、標準外を見ていないかのように、あるいはそこに存在していないかのように振る舞い続けているからではないでしょうか。

 

負けてからが強いフランス。オランダの狡猾さ。スイスの堅守。ベルギーの柔軟性。

これらは他国や他民族との戦争に勝ったり負けたりしながら身に付けていったものだろう、そして日本に戦争に負けた経験が少ないが故に…とも書かれています。

 

もちろん、今から戦争経験を積むなんて馬鹿げた話はするつもりはありませんが、日常生活のなかで「自分たちの標準外」と穏やかながらもきちんと「摩擦」を生じることが大切な気がします。

無視する、舌打ちする、眉を寄せる、それでお終いにするのではなく、なぜそう感じるのかを自問して、ときに相手にきちんと要求して、少なくとも自分自身の標準を拡げていくことが第一歩だという気がします。

 

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もし、一冊丸々読む時間がなければ、第五章の40ページだけでも読んでみることをおススメします。

 

第五章 寂しさと向き合う――東アジア・ソウル、北京

『新・冒険王』/日韓ワールドカップ嫌韓の始まり/インターネットという空間/確証バイアス/韓国の病/ヘル朝鮮/北京へ/文明と文化の違い/新幹線はなぜ売れないのか/文明の味気なさに耐える/安全とは何か/零戦のこと/最大の中堅国家/安倍政権とは何か/二つの誤謬

 

Happy Collaboration!

 

無意識のバイアス研修に参加しました - ダメパチ撲滅協力のお願い

オリジナルはこちら: 2016/5/12 Pachi – the Collaboration Energizer

 

昨日、IBM社内の「職場における無意識のバイアス(Unconscious Bias in the Workplace)」という集合研修に参加しました。なかなか多くの気づきがありました。

 

「無意識のバイアス」に関する情報や、企業が実施している研修を紹介するコンテンツはウェブ上にたくさんあるので(この記事の最後には、企業が実施している研修の紹介へのリンクを置いておきます)、基本的な情報を知りたい方はそちらを見てください。ここではそれはサラッと流します

このブログ・エントリーでは、私が、自分にとって特に大切だと思ったことと、研修の最後に「自分のアクションプラン」として発表したことについて書きます

 

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サラッと受講背景について書いておきます。

まず、私は個人的に、もともと進化心理学や行動分析学など、認知バイアスとの関係が深い分野に興味があります。

加えて、ここ数年さまざまな企業が「無意識のバイアス」の社内研修を実施しているという話を耳にするたびに、早く自分も受けてみたいなあと思っていました

 

そして、一方でなぜ企業側が「職場におけるバイアス」にこれほど注目しているかにも興味があります。

一番の理由は「人は不公平な扱いを受けていると感じている状態では、本来のパフォーマンスを発揮できない」からだと思いますが、そうすると当然そういう「不公平な扱い」につながる「人に対する判断」から、できるだけバイアスを取り除こうよ、ということになりますよね。

 

次に、世界規模での「能力のある人やチーム」の奪い合いの結果、「内的要素(生まれついての特徴や属性)」や「外的要素(人生の中で作り上げてきた特徴や属性)」、「組織的要素(業務や職種などに関係する属性)」の点でそうとう多様性に富んだ状態となった中で、いかにスムーズに互いに快適な状態で働くことができるかを追求するためというのが理由ではないでしょうか

まあ、それ以外にもたくさん理由はあるでしょうし、もちろん重要度だって企業によりけりでしょうけどね

 

さて、それでは4時間の研修で、分かりやすい「バイアスの取り除き方」を身につけられたかと言えば……想像に難くないと思うのですが、やっぱり全然無理でした。

というよりも、そもそもバイアスって取り除くことができるのものなのか? 取り除く必要があるのかな? なんてことも考えざるを得ませんでした。

 

ペアやグループでのディスカッションでも、何度となく「そもそもバイアスの定義ってさ…」と言ったやり取りがありました

「偏見」、「先入観」、「決めつけ」…。正直、どれも分脈によってはぴったりとはまらなかったり、「自己経験をベースにした認知や判断と、どこで線引きするのか?」などと混乱することもありました

 

結局、日本語にするから難しくなっちゃうんだなって思っています。英英辞書を引いたら、いくつかぴったりだと思える定義に出会えました:

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要するに、「人に対する不公平な扱い」につながるところが問題なわけですよね

経験から得た知識や統計的な傾向を否定するわけではなく、それはそれとして、総論ではなく個としてやり取りする際などに、その知識や意識に引きずられちゃダメだよって。そして引きずられないた引きずられないためには、自分の持っているバイアスを把握しておく(「無意識」から「意識化」へ)必要があるよってことですね。

 

受講した結果として、はっきりと言い切れることは、4時間にわたり「バイアス」についてしっかりと向き合う時間を持つことはとても貴重な経験だし意義深いことだったと言うことです

なんだか、こうして書くと「なにを当たり前のことをいまさら」と思われそう…。でもね、私の中では自分の「無意識の偏見」に関する理解が確実に深まりました。

 

研修の後半では、じっくりと自分の持っているバイアスを見つめて、書き出していきました。

どうやら、私は「公平バイアス(もちろん私は間違えることもある。ただし今回は正しいと思いがち)」のカテゴリーに入る「バイアスの盲点」と「確証バイアス」がとりわけ強いようです。

 

  • 「バイアスの盲点」 - 他人のバイアスは認識できるのに、自分自身の同じバイアスを認識できない
     
  • 「確証バイアス」 - 自分のバイアスを裏付けるような都合のよい情報ばかりを集め、それをベースに解釈する

 

うん、そうだよ…思い込み激しいタイプだしな…。

そして具体的に現れてしまう私の顕著なバイアスは「地位へのバイアス」の強さでした。


職場においても、社会においても、直接のやり取りのない地位の高い相手に対して「どうせろくでもないことをしたり、うまいことやったりしてその地位になったんだろ」と強い疑惑を持って見てしまうのです…。ときに意味もなく嫌悪感まで感じてしまうのです。

実は、自分のこのバイアスには数年前から気づいていて、相手を「個」として捉えるべきときには意識して抑えています。

ただ、それでも何かの弾みに出てきてしまうんですよね…。

 

そんなわけで、研修の最後に発表した「私のアクションプラン」は以下です。

皆さん、ぜひダメパチを見かけたときにはご協力をお願いします!

 

自分の「地位の高い個人」に対するバイアスをオープンにして、それが現れているときには遠慮なく忠告してもらうようにソーシャルに依頼す:

地位の高い個人に対して、蔑んだり疑いの眼差しを向けているパチを見かけたら、あるいは、地位の高い人を不当に低く評価したり厳しい言葉で表していたら、遠慮なく「バイアスに囚われているダメパチになっているよ」と忠告してもら

 

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最後に、企業が実施している研修が紹介されている、あるいはいは研修そのもののコンテンツと、今回の研修とのつながりが深いと思っている自分の過去エントリーをリンクしておきます

 

研修関連

 

 

過去エントリー

     



Happy Collaboraton!

 

新入社員向け社内ソーシャル研修から

オリジナルはこちら(2016/5/9)

 

社内ソーシャルツールの普及に伴い、新入社員向けの社内ソーシャル研修を実施している、あるいは実施しようと考えている企業は増えてきているんじゃないでしょうか

ただ、インターネットで検索しても、まだまだオンラインには情報が少ないようです。

 

私は、6年前から日本アイ・ビー・エムで新入社員向けの社内ソーシャル研修を実施していますので、これから実施を考えている方、あるいは実施しているけどなんかピンと来ていないという方に、参考にできる部分やインスピレーションにつながる部分があるかも…ということで、先日実施した今年の研修でのポイントをシェアしたいと思います

 

参考: 2014年に書いたブログ記事新卒社員と一緒に企業内ソーシャルを考えてみ

 

ただ、先に書いておきますが、私自身も毎年毎回毎セッションごとに試行錯誤しますし、状況やニーズに合わせていろいろと手を入れながらやっています。

「これが正解」なんてものではまったくないですし、そもそも、研修や勉強会は会社ごとに内容が異なるのは当然でしょうから、使える要素やエッセンスがあれば活用してください。

(なお、書いている内容には多分に私の視点や捉え方が含まれています。「IBMの社内ソーシャルに対する理念」を私なりに新入社員に分かりやすく伝えようとしたものであって、IBMの公式見解ではありません。)

 

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(オリジナルは英語で、The Strategic Benefits of Modern Workforce Collaboration』というページに記載)

 

集合研修は1時間です(短すぎる? 理由は後ほど)。

前半は「なぜIBMは社内ソーシャルに熱いのか」、後半を「生産性をあげるアドオン的テクニック」を伝える形としています。

 

上の図は、前半内の前半からの1枚で、コラボレーションが職場にもたらす価値を、質や量、機能/非機能などの観点からマッピングしていま

この図と共に私が伝えているのは、なぜこのオンライン・コラボレーションツールが社員に提供されているのか、企業側(ここではIBM)の視点も理解しておこうということです。

 

誤解されたくないので為念で書いておきますが、「新入社員よ、会社の期待に応えるのだ!」なんてことは言いませんよ。そうではなく「近視眼的になり過ぎず、自分たちへの期待を俯瞰的に捉えて欲しい」ということ、「会社の期待の背景を考え理解する思考を身につけるといいよ」ってことを伝えています。

「ツールがあるから使いなさい」じゃ義務教育ですよね。

 

そして集合研修が「1時間」の理由ですが、答えはシンプル。

新卒社員の彼らは「ソーシャル・ネイティブ」なんて呼ばれ方もする世代です。そんな彼らにしてみればVerseConnections Cloud(IBMのオンライン・コラボレーションツールです)などの基本的な使い方は難しいものではありません。

わざわざ集合研修でそんなベーシックなことをやったら「え? これ、なにも集まってやることじゃなくね?」って言われるでしょう(いや、表立っては言われくても裏ではきっと)。

 

そんなわけで、「基本機能を学ぶハウツー系」は、30分ほどのベーシック動画と多数のショート・ムービー型教材を提供し、オンラインでセルフ・ラーニングしてもらうようにしています。

こうすることで、各自が必要性を感じたときや、数人のグループで一緒に教えあうような「モチベーションの高い状況」で学べるようにしているわけです。

 

ただ、こうした「自習」だけだとやっぱり抜け落ちる部分が出てくるわけです。

ベーシックな機能や使い方の奥には、そもそもその機能があるのはなぜか、そのツールが提供されているのはどういう理由なのか。そうした根底の部分や存在意義については、別々の場所で個々に学ぶよりも、同じタイミングで話を聞き、その後に仲間と一緒に考えたほうが、より理解が深まるし、自分なりの考え方を磨けると思うのです

 

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こちらは研修の前半の後半部分で使用しているチャートです。

以前に、ソーシャル・ビジネス憲章 (アルファ版)』というブログ記事でも紹介したことがあります。

 

・ ソーシャル・ビジネスの実践とは、評判を築き影響力を高めていくことである

多様な仲間とのコラボレーションや彼らの参加やフィードバックがより大きな意義を持つよう、自身や関与するプロジェクトの評判や影響力を高め、そこからポジティブな結果を導き出すことであ

 

・ ソーシャル・ビジネスの実践とは、自身の仕事内容をオープンにすることである

自身の仕事を周囲から見えるようにして、有用な情報へアクセスできるようにし、率直なフィードバックを求め、それを活かしてより良いアウトプットを生みだしそれをオープンに共有することである
 

新入社員に特に伝えたかったのは、「価値の高い働きかた」を目指して欲しいということでした。そして自分をブランド化して欲しいということでした

ナレッジや情報は、たくさんの人に何度も活用されることで、価値やそのインパクトが高くなっていきます

そういうナレッジを、たくさんの仲間に活用しやすい形で提供することは、価値を届けることに他なりません。

 

もう一つ。昔から「やるべきことをきちんとやっていれば、見ている人はちゃんと見ている」とはよく耳にする言葉ですが、はたしてそれって本当でしょうか?

見えるのは、「これまでにやった範囲のこと」であり、これからチャレンジしたいことや目標に向けて取り組んでいることは、目に見えないままの状態のことが多いものです。

 

実績を積み実力を上げてもそれが評判とならなければ、社内の広い範囲にはなかなか届きません。

とりわけIBMいう会社の規模では、どこの誰がどんなスキル、知識、パッションを持っているのかを把握するのは難しいのが実情です。

 

どんなにすばらしい製品でも、誰にも知られなければ売れることがないように、どんなにすばらしいスキルやアイデアも、周りに知ってもらい活用してもらわなければ「売れ」ません。

だからこそ、自ら「これまでにやってきたこと、今できること、今後やりたいこと、そのために今取り組んでいること」を発信していくことが大切です。地道に取り組むだけではなく、それにプラスして自己をブランド化していくことが重要ではないでしょうか。

 

 

すっかり長くなりました。

研修の後半部分の「生産性をあげるアドオン的テクニック」は、細かい話となりますし、IBM使用しているConnections Cloudというツールに関連する部分も多く、汎用性が低いところもあるので今回は割愛します

もし、「そこが知りたい」という方がいたら私Pachiまでコンタクトください。

 

Happy Collaboration!

 

ダイバーシティーが育たない本質はそういうことなんじゃないかな

オリジナルはこちら(2016/5/2)

 

ダイバーティーに関するとてもすてきなブログを読みました

ダイバーシティの本質はそういうことじゃないんじゃないか

 

ネット上でも話題になっていたので、ダイバーシティーや職場環境などのテーマに興味を持っている人の中には、読んだ人も多いんじゃないでしょうか

縁あって、どうやらこんど筆者の牛尾さんとお話しできる機会がありそうです。やった!

でもその前に、まずは自分の感想や問題意識を書き出しておこうと思います。

 

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■ 「日本人の美徳」 - 材料はなんでもOK。圧力鍋で簡単クッキン!

 

「これぐらいはやって当然だろう」という暗黙の話などもありません。おもんばかるに近いのですが日本人の「相手を優先し思いや る」という感覚はある意味美しいのですが、仕事においては鏡の法則が発動され、「これぐらいやってくれて当然」という空気を作ってしまうこともよくありま す。そういう変な「深読み」は必要ありませんのでシンプルで

 (ダイバーシティの本質はそういうことじゃないんじゃないか』より

 

勤勉性だとか時間に几帳面なところ、それから「おもてなし」や「阿吽の呼吸」などは、一般に日本人の美徳として、日本の善を表すものとして広く知られています。

でも、これらの善や美が現在の形に育ってきた背景には、日本社会の長年の「均一性信仰」と、同調圧力の高さがあるんじゃないでしょうか。

 

  • 大きく異なる文化や相容れない習慣に直面する機会が少ないため、人々の考え方や行動様式がどんどんと似通っていく。
     
  • たまに異質な行動や意見が出てきても「周囲と同調して、目上の人に言われた通りに従えるのが美徳」と子どもの頃から周囲の大人や教師に教え込まれる。
     
  • 個性よりも均一性が重視される中で、「お約束」の思考・行動パターンが良しとされ、さらに均一性と同調圧力が高まっていく……

 

なんだか、あらゆる素材を一からげに高温圧力釜に放り込んで、柔らかくなったらしょう油振りかけてハイ出来上がり! なんて感じの絵が頭に浮かびます。

 

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本当に、日本人が美徳としている「勤勉性」や「おもてなし」は、それほどすばらしいものなんでしょうか

多くの人が誇り、大切にしている日本的「善」って、ひょっとしたら均一性や単調さをデフォルメして具現化しただけのものに成り下がっていたり…しませんかね?

 

勤勉性の裏の「相互呪縛」や、おもてなしに潜む「過剰期待」が、勤続疲労でメリットよりもデメリットをもたらしていないかを構造チェックするときなのかも

 

 

■ あかあおきいろ、まるしかくさんかく - 自分の「無意識」を疑う

 

「すべての事が多様で違いがある事が当然」と考えることが重要だと思います。すべての人が、世界のコミュニティの「一部」にすぎず、マジョリティなどいません。

 それは国籍の違い、人種、性別の違いだけではありません。人間は、すべての要素が違っていて当然という前提で考える事がダイバーシティのポイントじゃないでしょうか

 (ダイバーシティの本質はそういうことじゃないんじゃないか』より



先月、こんなブログ記事を書きました。

多様性あれこれ(イノベーションと礼拝とフォルトライン理論)

 

この記事では「ダバーティーてめんどくさいし最初は非効率です。そこをちゃんと意識し覚悟した上でチャレンジしましょうよ」と書いています

中途半端な意識でスタートして「大変なばっかりで、ダイバーティーなんて本当に意味があるのか!」と誤解したまま途中で投げ出されてしまうくらいなら、手をつけずにいられた方がマシなんじゃないかという気がしたからです

 

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でも、やっぱり本当は、牛尾さんが書かれているようにダイバーシティーってすごく楽しいし、多くの人に生きやすさを与えてくれるものだと思っています。

 

単 一の集団と思い込んでいる人々も、本来は、伝わったと思っても、本当は伝わっていないのではないでしょうか?それは難しいことなのではないでしょうか? だから、ダイバーシティの環境でそれが崩れることで、本来の「効率的なコミュニケーション」について必死で考えて実践するから、生産性が向上するのではな いでしょうか?

 (ダイバーシティの本質はそういうことじゃないんじゃないか』より

 

あかあおきいろ、まるさんかくしかく。

パッと見て分かる違いを「いろいろあってすばらしい」と捉えるだけじゃなくて、一見同じ色や形に見えても、その中のそれぞれの違いを見分け聞き分け感じ分けられて、その違いを楽しめるようになることが大切なんだと私も思います。

 

先入観に囚われたコミュニケーションから一歩踏み出してみませんか?

まず、「普通はこう考えるだろう。こう行動するだろう」という自分の「無意識の予測」に疑問を持つことからスタートしてみませんか?

 

自分の意思や考えを「みんなとは違いそうだから…」と発せず飲み込んでしまうことをよしとぜず、「こういう意見もあるよ」「こう考えることもできないだろうか?」と伝えていくことで、みんなが住みやすい社会に近づいていくんじゃないかなって思っています。

そしてなにより、自分がそんな社会に住みたいのです

 

Happy Collaboration!
 

優秀な営業マンは門前払いを受ける - 嫌われる勇気と弱者の好物

オリジナルはこちら(2016/4/23)

 

EGMフォーラムの夜は、いつも以上に五感が揺さぶられます

反射的にポンっと出てきた、あるいはズルズルと自分の中から出てきた言葉は、いつもより本能的になっていて、自分自身に驚くようなことも

先日のEGMフォーラムの定例会でも「あちらこちら」へと意識が振られつつ、振り返ってみると「言いたいことは本当にそれだったのか?」と、自分の瞳の奥を覗き込んで問いかけてみたくなります。

 

前置きが長くなりました。

いまだに脳内で断片化しているままな部分も多いのですが、本編後の飲み屋での話も含め、コラボレーションとイノベーションに関するディスカッションのかけらを書き出しておきます。

 

 

■ 門前払いを受けるのが優秀な営業マンであ

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「大企業のセールスは門前払いを受けることがない。とりあえず話を聞いてもらえるから有利である。」−−マルかバツか。

答えはバツ。理由はROIの高低にある。

 

営業マンの成績は、一般に売り上げた数字で測られる。要するに「売るやつができるやつ」。

それでは、売る上で1番のムダは何か。

それは「さんざん時間を使わせられた挙句、最後にNoを突き付けられること」

 

結果としてNoと言われるなら、なるべく早くNoを。その相手に費やす時間を別の営業先にかけることができる。

結果を見れば、売れないところからは門前払いを喰らうのが1番ロスがない。「ノー・リターン but ノー・インベスト」。

 

「そんな単純な話じゃない! 営業をなめるな」--もちろんその通りで、これは話をかなりシンプルにしています。

でも、真実も含まれているとは思えないでしょうか。こんな話もあります。

 

みなさんは、「こんなアホみたいな詐欺話に引っかかるやつなんて世の中にいるわけないだろ!」って笑ってしまうような、そんな詐欺メールを見たことがありますよね?

多少たりとも分別なり経験がある人なら、瞬間にゴミ箱に捨てるeメールです

さて、詐欺師はなぜあれほど、ありえないアホみたいな詐欺話を送るか考えたことがありますか?

 

彼らにとって一番タチが悪い相手は、中途半端に引っかかって最後に二の足を踏む相手だからです

 

 

■ メリットの法則――ムチよりも「アメを与えない」こ

 

杉浦さんが『メリットの法則―― 行動分析学・実践編』という本の紹介をしてくれました。

ブログ記EGMフォーラム月例会報告(4月20日)~行動分析学と協働関係の作り』にも紹介スライドがアップされていますが、私は、その説明を聞きながら嫌われる勇』に書かれていたことを思い出していました。

以下、引用です。

 

「不安だから、外に出られない」のではありません。順番は逆で「外に出たくないから、不安という感情をつくり出している」(…)「外に出ない」という目的 が先にあって、その目的を達成する手段として、不安や恐怖といった感情をこしらえているのです。アドラー心理学では、これを「目的論」と呼びます

「このままのわたし」であり続けていれば、目の前の出来事にどう対処すればいいか、そしてその結果どんなことが起こるのか、経験から推測できます(…)一方、新しいライフスタイルを選んでしまったら、新しい自分になにが起きるかもわからないし、目の前の出来事にどう対処すればいいかもわかりません。未来が見通しづらくなるし、不安だらけの生を送ることにな

自分が非行に走ったり、不登校になったり、リストカットをしたりすれば、親は困る。あわてふためき、胃に穴があくほど深刻に悩む。子どもはそれを知った上で、問題行動に出ています。過去の原因(家庭環境)に突き動かされているのではなく、いまの目的(親への復讐)をかなえるために

 

 


■ 強者は共創より競争を好む。コラボレーションは弱者の好物に過ぎな

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強者は共創より競争を好む。なぜなら、自分一人の力で勝てば独占できるから

コラボレーションするということは、自分の分け前を減らしてしまうということ

自分ひとりでイノベーションを起こすことも勝利を手にすることもできる人間に「コラボレーションせよ」と求めても無駄だ

 

そんな話が出ました。たしかに、その通りかもしれません。

ものすごく抜きん出た実力を持っている人がいて、その人が「喜びを分かち合える快感」よりもはるかに「勝利の美酒の独占」を愛しているのならば、そういう話になるのかなと思います

 

この話はシンプルだけど、意味深い議論になりそうな気がします。

「強者は共創より競争を好む。コラボレーションは弱者の好物に過ぎない」 --皆さんは、この仮説にどう応えますか? 対話の場を持ってみたいです。

 

Happy Collaboration!

 

コミュニティー運営グルグル

オリジナルはこちら(2016/4/17)

 

一昨日は、いろいろな場所でコミュニティーの「在りかた」に触れ、それぞれの違いにインスパイアされまくった1日でした

なんだかとても特別な「流れ」を感じる日だったので、いまだ頭に渦巻き続ける「思考の芽」みたいなことを書きだしておきます。

 
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■ 1日の流れ

 

IBM内で、とあるオンラインコミュニティーについてGlobalチームとディスカッション

コミュニティー運営側が持つ「果たしたい役割り」と、メンバーが感じている「期待されている役割り」のギャップを整理。

 

3×3Lab Futureを初訪問して本会員登録してきました(写真はすべて3×3Lab Futureの中で撮ったものです)。

施設案内してもらったり新たなチャレンジについて教えてもらったりしつつ、「サードプレイス」という場所の「女将役」について考察。

これからはちょいちょい顔を出そうと思ってますが…時間が18時までとちょっと早いのが残念。

 

一橋ICSで、とある企業のナレッジマネージメントの取り組みを詳しく聞き、それをベースとしたグループディスカッションに参加

はたして、「上手くいっている社内コミュニティー」は、スケールさせる必要があるのか?

(ところでICSって「なんの略だろう?」と思ってたんだけど"International Corporate Strategy"で、「一橋大学大学院 国際企業戦略研究科」らしい。めっちゃアカデミックで俺から遠い世界じゃん!

 

Clipニホンバで、コミュニティー・マネージャーの広瀬さんと、2週間ほど前のイベントでも会話した「サードプレイスの画一性」などについて改めて対話。

そしてこの日2回仮面屋おも店主大川原さんとバッタリ。

 

 

■ イノベーション/カイゼン、人/コト、オンライン/オフライ

 

多少乱暴なところはありますが、対比させるために特徴を並べてみるとこんな感じでしょうか。

 

  • イノベーション志向の企業内オンラインベース・コミュニティ

  • 場所志向のサードプレース型オフラインベース・コミュニティ

  • カイゼン志向の企業内オンラインベース・コミュニテ

  • 起業志向のサードプレース型オフラインベース・コミュニティ

 

こうして振り返ると、「コミュニティー運営」というテーマを中心に据えたまま志向性や状況、コンテクストやオープン性などをクルクルと変えながら、多くのコミュニティー・マネージャーたちに囲まれて過ごしました

うん。濃くて贅沢な1日だった。

 

そして改めて気づいたのは、意識して視座を変えるの重要性です。

毎日コミュニティーに接して考えているつもりにはなっていても、実際には「緊急性は高いけどさして重要じゃない」日々の業務に引きづられてしまい、「緊急性は高くないけど重要」なテーマを実践知ベースで考えるところには行けないぞ自分…。

 

 

■ 何を考えていたのか

 

・ コミュニティーとは、リソースが共有される場/リソースを共有する

コミュニティーの正体は「リソースが共有される場」だ。

リソースが消費され尽くしたとき、あるいはリソースがその価値を失ったとき、コミュニティーは消えていく運命にある。

(「リソース」が何を指すのかは、前に書いコミュニティーとはリソースが共有される場である 』で。

 

・ コミュニティー・マネージャーとは、リソースの最大化と循環とを図る

メンバーがリソースを消費するのと同時に、リソースを持ち寄ったり発生させたりするように支援するのがコミュニティー・マネージャーの役割り。

既にあるリソースが、薄まりきってしまったり傷んで腐ったりしないようにするのがコミュニティー・マネージャーの役割り

リソースを発生させるのも、腐らせないのも、その方法は正解やテンプレートが存在しない非常に厄介なものだし、そのやり方こそがコミュニティーの屋台骨。

 

・ サードプレイス型コミュニティーの多様化

都心ではサードプレイス型コミュニティーが増えてきて、メンバーは自分の好みにあった場所を見つけやすくなってきている

場所や料金などの「ハード的制約事項」 × 集っている人や空気感などの「ソフト的制約事項」。

自分が欲しているモノやムードを自身で捉えられるか

 

・ 内部の人だけではなく、コミュニティーを紹介できるコミュニティー・マネージ

優秀なコミュニティー・マネージャーは、そのコミュニティーの中で「リソース最大化&循環」をするだけではなく別コミュニティーと連携しながらそれぞれの「リソース最大化&循環」をする

「今のあなたにはここじゃなくxxの方がしっくりくると思う」とリコメンドして申し送りまでしてくれるコミュニティー・マネージャー。

 

・ 名物コミュマネの必要性と危険性

・ オンラインとオフラインのつなぎ方の違いと動線設計の違い

・ ワークライフバランスとサードプレイス。あるいはワークライフインテグレーションとサードプレイス

・ サードプレイスでの「ドヤ顔」「アレオレ」問題

・ サードプレイスの数だけ分人が増えていく問

・ 未だ見ぬ楽園とサードプレイス無間地獄

 

…このあたりはもう少し深く考えてみます。

Happy Collaboration!

自分らしい働きかた - リモートワークジャーニー@東京レポ

オリジナルはこちら(2016/4/11)

 

 

リモートワークジャーニー@東』に参加してきました。

「リモートワーク?」 という方に説明すると、私の理解では(解釈に多少の個人差はあると思いますが)リモートワークとは、「働く場所をオフィスに限定しない働きかたのことで、毎日決められた時間に決められた場所に出向く働きかたの反対側にあるもの」です。

 

私は東京会場の運営スタッフの一員でもあったのですが、でもそれはイベント準備とイベント後の話。

イベント開催中は、一般の参加者とまったく同じかそれ以上に、ディスカッションやグループワークを真剣に楽しませてもらいました

 

開催中に参加者のみんなと対話しながら気付いたことやハッとさせられた言葉と、開催から2日経った今改めて頭に残り続けているコトなどを、感想と一緒にメモしておきます。

なお、イベントのオフィシャルレポートは近いうちに別途アップされる予定と聞いていますが4月23日の福岡開への参加を検討中の方には、以下の札幌開催のレポートが参考になると思います。

 

Remotework journey @札幌の開

 

 

■ あなた自身の『自分らしい働きかた』を実現するのに大事なことはなに

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ジャーニーへの第一歩は「あなた自身の"自分らしい"働き方で大事なことは何でしょう?」という問いでした。

2人一組になってそれぞれ3分間、この問いへの答えを語りあったのですが、このとき、ここ数年忘れかけていたことを思い出しました。

 

自分が36歳までずっと就職しないでフリーターを続けていたのは、会社員になるってことは「納得いかないことや理不尽だと思っていることにも"ノー"と言わなきゃいけなくなるなること」って意味だと思っていたからでした。

正社員になったら、自分の信じる正義や自分の譲れない部分も譲らなきゃいけなくて、会社を優先しなきゃいけなくなるんだって思っていました。

 

そんなこと全然なかったのに、そうだと思い込んでいたんです

ともあれ、私にとって自分らしい働きかたとは、「自分自身であることや自分が信じることを譲らなくてすむ働きかた」だったということです。そしてその実現に大事なのは、「イヤなことはイヤ!」でした。

 

 

■ ゲストや参加者の言葉

 

私自身はIBM入社直後からちょくちょく「リモートワーク」していたこともあり、一般的ではないってことをつい忘れてしまうことがあります。

また、そうなっていない社会や会社に対し、つい呆れた素振りを見せてしまうようなこともあります(気をつけなければ…)

(なお、日本IBMでは1999年からリモートワーク(e-ワーク制度)がスタートしたそうです。参照: 『IBMers make a difference: 国籍も世代も異なるダイバーシティー・コンビが、社員の価値を企業の価値へとつなげてい』)

 

そんなわけで、みんなの話を聞いていると、「普通の働きかた」になり過ぎていた分だけ、見逃してしまっていたり視界にちゃんと入っていないこともたくさんあったことに気がつきました。

 

  • リモートワークは、「幸せになる」という人生の目的を達成するための

  • リモートワークが良い働きかたとも限らないし、自分らしい働き方につながるとも限らな

  • リモートワークは、個々にさまざまな事情を抱えている「一緒に働き続けたい仲間」と働き続けるための手

  • リモートワークが進まない理由の根っこは「恐怖」。自分の価値を失う管理者の恐怖。評価されないというワーカーの恐怖

  • リモートワークは実は「場所」の問題ではなく、従来の「出社 = オン/退勤 = オフ」という概念を変化させるモノ

  • 「イヤなことはイヤ!」って、強者の理論になっていませんか?

 

「イヤなことはイヤ!」って誤解されやすいんですが、もちろんただ「だってイヤなんだもん」じゃありません。それは通用しませんよね。

きちんと「何をイヤだと思っているのか」「どこに問題を感じているのか」「どうすれば納得して取り組めるのか」など、「イヤなことはイヤ!」はこうしたことをきちんと発信することとセットだと考えています

 

それから、参加者の方と『強いチームはオフィスを捨てる』という本の話でも盛り上がっちゃいました。

2年ほど前に読書メモを書いているので、良かったら読んでみてください。

 

『強いチームはオフィスを捨てる』を読みました - テレワークとメキシコの漁師

 

 

■ 「自分らしい働きかた」が当たり前の社会となった2020年からの未来レポー

 

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セッションのクライマックス(?)では未来レポートを作りました。

その社会を表すキャッチフレーズ「○○な働きかた」、その未来の特徴、それが実現したきっかけ、自分のどんな行動がその未来につながって行ったか…。そんなことを1枚の模造紙に書き出しました。

私たちが参加したチームはこんな感じです。

 

「ところで今日どこ?」な働きかた: どこにいるのかを相手もこちらも別段気にしていない状態だから、オンラインでコミュニケーションしている間に、「あ、そういえば今日はどこで働いてるの? へーオフィスなんだ。じゃあ、私も昼前にオフィス行こうかな。ランチしようよ!」くらいな、リモートを互いに意識しなくなっている未来をイメージしました

 

そのきっかけは: まず社運がかかった超重要プロジェクトの途中で、絶対的エースの奥さんが入院することになってしまったこと。こりゃ一大事!

彼がいなくても果たしてやっていけるのか…と思ったら、案外リモートワークで週に一度しか顔を合わせなくても、大きな問題にならなかった。これはひょっとして?

 

それから2ケ月後: なんと、本社ビルが実は耐震基準をまったく満たしていないことが発覚! 補強工事の6週間の間は、全員出社できないことに…。こりゃ一大事!

ところが…いざスタートしてみたら(以下略)。

 

やってみなければわからないことは、やってみるまでわからないですよ

 

 

こんな感じで、私にとっては「リモートワーク」をベースに「自分らしい働きかた」にじっくり向かいあうことができ、かつたくさんの仲間ができたあっという間の半日でした。

再来週の福岡開催だけじゃなく、今後もジャーニーはいろいろな場所で続くみたいです。みんなも参加してみない?

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Happy Collaboration!