Pachi's Blog Annex ~自薦&自選よりぬき~

『Pachi -the Collaboration Energizer-』の中から自分でも気に入っているエントリーを厳選してお届けします♪

パワー・オブ・ソフトスキル – Power of Soft Skills #2

オリジナルはこちら(2017/11/29) 

 

ソフトスキルについて、頭の中にあることを書き出した<パワー・オブ・ソフトスキル – Power of Soft Skills #1>の続きです。

IBMの社内セッションで話す<スキル・リーダーとしてみんなに伝えたいこと>を念頭に置いているので、ちょっと偉そうな感じになっちゃっているかも…ですが、けっこう良いこと書いている気がします(自分を信じるられるのもソフトスキルかな? ww)

 

 

■ 実体験から思う、ソフトスキルの重要性とそれを手にする方法

Please share with the audience the importance of Soft Skills based on your experience, suggestions and recommendations on how to acquire these skills.

 

・ つけるというよりついてくるのがソフトスキル

<つけるぞ!>と頑張ってつけられるものもあるのでしょうが、それよりは経験と実践により<ついてくるもの>と捉えた方がよいのかなと思っています。なので、あなたが欲しいと思っているソフトスキルが必要とされる場に自分をどんどん連れて行くことが重要ではないでしょうか。

 

例えば、適応力やコミュニケーション力を高めたいのであれば、自分が<アウェーだな>と感じるような場所に一人で出向いて周りの人たちに自分から話しかけてみるとか、ワークショップや対話イベントに参加して、その場で足りていないものが何かを考え、自分がそれを提供してみる、あるいは提案してみるのがいいんじゃないでしょうか。

どんなスキルも発揮する機会が多ければ多いほど、よりしっかりと身につくと思います。

 

・ 違和感にきちんと向き合うことでイノベーティブになれる

創造的思考とかイノベーティブ思考と呼ばれているものを身につけるには、自分が日常で感じる違和感を「まあそういうものか」と流し、忘れ去ってしまうのではなく、「何に対して自分が違和感を感じているのか」を考える癖をつけるのがよいんじゃないかと思っています。

別に、キレイにまとめる必要はないし、なんなら<考えたけど分からなかった>という結論でも構わなくて。重要なのは違和感のコアに近づこうとする姿勢じゃないかな、と。

 

私の場合は、特に価値観の違いやズレに敏感なところがあると自己分析しています。

その<自分と周囲のズレが生じる構造>みたいなものをなんとなくでも掴んでいると、それを逆手にとってありきたりなものから離したり、独創的なものにつなげていったりしやすくなるんような気がしています。

 

・ 自らに肩書きをつけて名乗る。活動をソーシャルにレポートする

私は<コラボレーション・エナジャイザー>を肩書きとし、名刺にもそのタイトルを印刷しています。これには<自分をブランディングして覚えてもらう>という狙いもありますが、<自分をやらざるを得ない状況に追い込む>という効果もあります。

だって、コラボレーション・エナジャイザーがコラボレーションに熱心に力を注いでいなきゃおかしいですよね? (あ、<エナジャイザー>って、パワーとか勇気とかを人や場に注ぎ込む人のことです。)

 

この肩書きにより、コラボレーションについて深く考えることを自らに課せます。そして考えたことを実践したり発表したりすることで、多くの人からさまざまなコラボレーションを求められるようになります。そして今度はそこで得た経験や知識を発表したり、別の機会にあてはめて…また今度は…。

と、こんな具合に、肩書き名乗ることでその肩書きにふさわしい活動が増えていき、自分の専門性が上がっていきます。なりたい自分に近づけます。

もちろん、肩書きも活動も、知ってもらえなければ何も引き出さないので、それを積極的に伝えていくことも必要です。ブログやソーシャルウェブなど、そのために有効活用できるものは社内外にたくさんありますよね。

 

・ <好き><得意><必要>とされている仕事を追い求めること

身に付けたいスキルがなんであれ、習得するには時間がかかります。逆の見方をすれば、時間がかかっても苦にならないものほど身につきやすいということです。

 

  • <好き>なものは、取り組んでいることそれ自体に楽しさや喜びを
  • <得意>なものは、苦労が少なく自己能力を実感できるので満足感を
  • <必要>とされているものは、自分がそれをすることで感謝されて嬉しさを

 

そんなわけで、<好き><得意><必要>なことや分野は長く続けられて、スキルの習得や熟成に向いています。

最近友人が貸してくれた本<外国人が見つけた長寿ニッポン幸せの秘密>では、この<好き><得意><必要>にもう一つ<稼げる>を足して、4つすべてが重なったものが<ikigai>と呼ばれていると言う話が書かれていました。

(そこから興味を持ち、先日「いきがいダイアグラムで自分の仕事を棚卸ししよう」というワークショップにも参加してきました。)

 

 

■ 最後に – 最重要ソフトスキルは<自分自身を好きでい続けられること>

ソフトスキルもハードスキルも、どちらも<もっと幸福になるため>の道具だと思います。

そして何を幸福と感じるかは千差万別で人それぞれですが、不幸になる方法はわりと共通している気がします。それは自己嫌悪、<自分を嫌いになること>です。

自分が嫌いだと、何をしても幸せにはなれないですよね?

 

最近よく<近い将来AIやロボットに取って代わられる職業>みたいな話を目や耳にします。そして<人生100年時代に重要なのは学び直しとチャレンジ精神>みたいなこともあちこちで言われています。その通りだと私も思います。

でも、どんなに心配しても、それに備えても、安心や保証は手に入らないと思うんですよ。結局は、あらゆる状況に対して<自分は大丈夫。なんとかできる>と信じられることが最強のスキルじゃないでしょうか。

 

では、どうすればその<大丈夫。なんとかできる>が身につけられるのか?

— 答えは分かりませんが、今のところ私が取り組んでいるのはマインドフルネスの呼吸法と慈悲の瞑想です。

やり始めてからそろそろ10カ月目に入るところですが、私には効果があるようで、心配し過ぎてしまったり漠然とした不安に襲われて嫌な気分になることは、ほぼ無くなりました。

 

マインドフルネスに興味がある方は、これまでに何度かブログに書いていますので、そちらも読んでみてください。

ベースサプリとエナジードリンク – マインドフルネス半年経過レポート

 

Happy Collaboration!

 

パワー・オブ・ソフトスキル – Power of Soft Skills #1

オリジナルはこちら(2017/11/28) 

 

<ソフトスキル>についての社内パネル・ディスカッションに、パネリストとして参加することになりました。

当初の依頼は「12分くらいのショート・プレゼンを」だったので二つ返事(※1)でお受けしたのですが、いつの間にか60分のパネル・ディスカッションへと変更されていました。

 

普段ならどちらでも気にならないのですが、今回の公開ディスカッションはすべて英語…。

そしてパネリストも参加者も、全員が世界のあちこちから参加するリモート方式なので、正直私の英語力では苦労することになりそうです…。

<準備せずに手ぶらで>挑むのはちょっと無謀なようです(※2)。

 

というわけで、準備と予習を兼ねて、ソフトスキルについて思っていることと事前質問としてもらっていることについて、頭の中にあることを書き出してみたいと思います。

英語であろうと日本語であろうと、自分のキーメッセージが何なのか分かっていないと、伝わらないですからね。

 

※1 為念でお伝えしておくと、<二つ返事>は快諾という意味です。最近の調査によると<渋々の承諾>というまったく逆の意味として理解している人の方が多いそうです。

※2 プレゼンに対するQAだと、自分の話したことに対する質問や意見なので、文脈が大きく違うものは少なくそんなに困ることはないんですよね。また、リモート配信でも何人かが会場にいれば、参加者同士がボソボソ話し出したりして「あれ…?」と微調整しやすいのですが、みんなの顔がPC越しに見えるツールを使っていても、完全リモートセッションはその辺の<空気感>が薄いんですよね…。

 

■ ソフトスキルについて思っていること

Please share with the audience what you think of Soft Skills.

 

・ ソフトスキルは人間のベースとなる部分のことで<人間性>に近い

 

ちょっと前に「あなたにとって「ソフトスキル」ってなんですか?」というばくとした質問をFacebookでしてみたところ、想像通りとっても多様なコメントをいただきました。

 

こういうのに応えてくれる仲間がいっぱいいるのもソフトスキルの一つ…という話はここではおいておいて、本当にカラフルな感じで、今見直してもニコニコしちゃいます。

みなさんが考える<ソフトスキル>と同じものはありますか?

 

 

 

・ ソフトスキルは計測可能?

例えばTOEICとか日本語検定だとか、ファシリテーター検定だとか傾聴力検定だとか、ソフトスキルを視覚化、あるいは資格化しようという試み(商売?)は増えているようですが、実際に測れるものなのかは疑問だと思っています。

<一定のレベルは満たしている>とか<知識は持っています>という証明に過ぎないものが多いのかな、と。

 

とはいえ、きっと今後もそういう測定機関みたいなのは増えるんでしょうね。おそらくは<流動化>と<マーケットバリュー>という視点に後押しされて。

 

・ 自分の強みだと思っている、あるいは伸ばしたいと思っているソフトスキル

  • Cultural intelligence: Adaptability and flexibility  異文化適応力(適応性と柔軟性)
  • Interaction and communication  意思疎通能力(コミュニケーション力)
  • Emotional intelligence and altruism 感情的知性と愛他性
  • Leadership and Collaboration  リーダーシップとコラボレーション
  • Storytelling: incorporating individuality into a large context  個性を大きな文脈に組み込んでストーリーを作る能力

 

 

■ 自身のキャリアにおいて、ソフトスキルがもたらしたものは?

Please share with the audience stories on the role Soft Skills played in your career journeys.

 

・ そもそもIBMに入社できたこともソフトスキルのおかげ

36歳まで派遣社員生活を続けて就職したことがなかった私が、IBMのウェブ統括部門に社員として加わることができたのも、いわばソフトスキルのおかげでした。

私をIBMに引っ張ってくれたのは、私が派遣社員としてIBMで働いていたときに、激しくやりあっていた部門のマネージャーでした。<自分が面倒に巻き込まれるって分かっていても、それでも正しいことを追い求め続けられる人ってそんなにいないのよ><どんなピンチでもなんとか乗り切るんだろうなって思わせるのがあんたの強みなのよ>。

 

一緒に働き始めてからしばらくして、ボスが言ってくれました。<ね、あってたでしょ。あたし人を見る目には自信があるのよ>。

 

・コラボレーション・ツールの推進という今の仕事

日本においては、<コラボレーション・ツールの推進>という役割が絶対に必要なものだと明確にされているわけではありません。でも現場に近い人たちには、役割の必要性や重要さは明確です。

また、<ツールの推進>がカバーする範囲も、はっきりと線引きされているわけではありません。

でも私にとっては明確です。それを求めているIBM社員がいて、それを私が実行すればハッピーになる人が多いのであれば、それは範囲内です。

 

やりたいことをやりたいと言い、理解を求めて、やる。やり終えたら価値が伝わるように、理解されるように、伝える。
こんな風に自分の仕事を自分で定義して形作っていくのも、重要なソフトスキルなんだと思っています。

 

・満足感とソーシャルウェブ

<ビジネスが順調なら、自分のことはどうでもいい>とか、<組織が上手くいっていれば、自分は不幸でも構わない>なんて人はいないですよね。人は、幸福になるために仕事をしているのですから(<お金のために>という人も、幸福になるためにお金を求めているわけで)。

では、どうすれば幸福感が得られるのか。私の場合は、IBM社員から質・量ともにたくさんの感謝を得ることです。

 

そのためには、できるだけたくさんの人に価値あるものを届けた方がいい。届けるものは何も<自分の>知識や経験である必要はないですよね。

私は、ソーシャルウェブやコラボレーション・ツールを使いこなすことというのは、価値を広く早く遠くまで届けられるようになるということだと思っています

 

 

すっかり長くなりました。続きはまた明日。

Happy Collaboration!

 

どこへ行くかじゃなくて誰と行くか – 燃え殻さんへの感想メッセージ

オリジナルはこちら(2017/11/22)

 

「ほぼ日に載ってる感想文の”Pachi”って、ぱちさんだよね。読んですぐ分かった。」

先日会った友人にそう言われて見てみると、たしかに俺の燃え殻さんへのメッセージが掲載されていました。

ページの一番下に。

 

ちょうど本を読み終えたその日。糸井さんのツイートで、だったのかな。ほぼ日で、燃え殻さんへのメッセージを募集していることを知りました。

「きっと俺、この人と東京のどこかですれ違っていたな」なんて読みながら思う本はこれまでになかったし、「ちょっと大丈夫? いくらなんでも泣きすぎでしょねえ?」なんて妻に心配される本もなかったから。

俺の感想を燃え殻さんに読んでもらいたいなって思いました。

今回、掲載されている俺の感想を読んで、『ボクたちはみんな大人になれなかった』を読み返してみた。

ただ、今回は本ではなくて書籍化される前の連載をCakesで

 

そうしたら、関口と真田と中目黒のワゴンのアシスタントの関係がくっきりと描かれていた。

本では、どこかぼんやりとしていて、なんだかしっくりこない感じがした場面。でも「きっとこれはわざとぼかしているに違いない」と感じた場面。

 

ちょっと、衝撃的だった。

それから、どうして、Cakesの連載では最後の重要なピースとなっているこの場面が本にはないんだろうって考えた。

全体の中で、バイオレンス要素が多すぎないようにしたのかな? とか。

通り過ぎていく人間を描くには、真田と七瀬の二人は要らなかったのかな? とか。

 

答えは分からないけど、でも、本しか読んでいない人に「Cakes版も読んだ方がいいよ」って言わせるには十分な仕掛けだなって思いました。

関口、そこまでカッコいいやつだったのか。

 

そして逆に、Cakes版しか読んでいない人には、加藤(小沢)かおりとの逃避行が書かれた『東京発の銀河鉄道』とか、書籍版にしかないエピソードがすごくいいから、そっちも読んだ方がいいよって伝えたい。

きっと男の子が全員、オトコになれるわけじゃないんだよ。

 

『数えたりない夜の足音』はあのとき野音で聞いたのが最高だったな。

徹夜のバイト明けに行ったスキー場でがんがんヘビロテされてて、帰りの車の中で『Automatic』を一緒に歌ったっけ。

『やつらの足音のバラード』はギャートルズの終わりの唄だったよね。仲間のバンドがいい感じにカバーしてた。

 

美味しいもの、美しいもの、面白いものに出会った時、これを知ったら絶対喜ぶなという人が近くにいることを、2017年まで生き延びた48歳のオッサンであるところの俺は幸せと呼びたい。

燃え殻さんありがとうございました。

Happy Collaboration!

 

1968年 – 市民運動と学生運動の展示会

オリジナルはこちら(2017/11/14) 

 

千葉県佐倉市国立歴史民俗博物館に、市民運動学生運動の展示<「1968年」-無数の問いの噴出の時代->を見に行ってきました。

 

きっかけは、治部れんげさんの一連のツイートです。

 

“印象的だったのは、当時起きた様々な市民運動で使われたビラや冊子、手紙、旗などの現物。”
https://twitter.com/rengejibu/status/921285036057403392


“脱走した米兵が海外から日本の支援者に送ったハガキもあれば、サルトルからの電報も。すべて現物”

https://twitter.com/rengejibu/status/921285167171301376


“企画意図には明確に「個人」に光を当てると書いてあり、権力に対峙する反政府組織を称揚するものでないところに好感を持ちました。都内から遠いですが一見の価値あり。”

https://twitter.com/rengejibu/status/921285987480649728

 

行ってよかったです! すごく!!

私は日本の歴史や社会史に疎いのですが、そんな私でも、自分の両親が生まれた頃から自分が生まれた頃、つまりは昭和初期から1970年代という時代にはとても興味を惹かれています。

歴史というよりも、今の自分に直結した「自分ゴト」として、ですね。

また、60年代や70年代のフーテンやフラワームーブメント、そして学生運動市民運動にも昔から興味は持っていました。

 

とは言え、その興味は派手でセンセーショナルな部分に対してで、はっきり言えば<ファッションとして>、あるいは<カッコイイものとして>の視点だけで60年代や70年代を見ていました。

10代の頃から、学生運動のゲリラ的な行動やアングラ感、フォーク集会やロックともつながる反逆スピリットなどのイメージに「あこがれ」を抱き続けていたのです。

 

そんなわけで、行く前は「きっと俺は学生運動のコーナーに一番ハマるんだろうな」と思っていたのですが、今回の展示会を観てさまざまな市民・学生運動間の関係性や時間的つながり、そして当時の世の中の空気感など、ずいぶんと全体感を得られた気がしています。

そして、学生運動の展示よりも、むしろ強く興味を惹かれたのが市民運動、中でもとりわけ「ベ平連ベトナムに平和を!市民連合)」でした。

 

日本の市民・学生運動を進化させたのは、ベ平連だったんじゃないか?

組織ありきではなく、一人ひとりが自分自身の考えをベースにして、自分自身の運動を起こしていく。そこに重なるものがあれば、ゆるやかに連携する。

— そんな、べ平連のスタンスやスピリットが、私たちに今必要とされているものなのかもしれない。展示会を観てから数日経った今も、そんな気がしています。

(とは言え、まだまだよく分からないことばかりなんですけどね)

 

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以下、ランダムですがメモしてきた言葉と、そこからちょっと調べてみたことを書いてみます。

当時のことに詳しい方で「いや、そうじゃなくてね…」というのがありましたら、ぜひ教えてください。

あ、先にお伝えしておきますが、ハードな<思想的勧誘>はご遠慮願います。

 

■ 新宿はベイタンの通り道

フーテンの溜まり場だったという話や、西口地下広場がバリケードで封鎖されていたとか、そんな話は聞いたことがありしたが、この〈新宿はベイタンの通り道〉という言葉は初めて見聞きしました。

ベイタンは〈米軍燃料輸送列車〉のことで、これを妨害しようとしたデモが〈新宿騒乱〉へとつながっていったのかな、という理解です。

 

九州大学ファントム墜落

この事件のことは、つい最近までまったく知りませんでした。大学の校舎に米軍機が墜落するという、とてもショッキングな出来事です。Wikipediaには〈九州大学電算センターファントム墜落事故〉というタイトルで紹介されていました。

この事件の顛末が、大学という場に警察権力が介入するきっかけとなったようです。

…やっぱり、ことの大きさの割にあまり語られていないような。

 

■  「殺すな!」バッジ

岡本太郎の書いた〈殺すな〉という文字を和田誠がデザインし、バッジにして配っていたそうです。この話も、まったく聞いたことがありませんでした。

ググってみると、今でもちょっと表現を変えて販売しているところがあるようです。

DO NOT KILL ANYWHERE, ANYTIME
— 至極当たり前のメッセージだからこそ、受け取る側の〈余白〉に染み込んでくるの気がします。

 

ティーチ・イン、脱走兵サポート団体ジャテック、橋の下大学、ハンパク、解放空間サンチカ、〈バリケード表現〉、一人ベ平連

どれもはじめて見聞きすることで、これから少しずつ調べてみようと思っている言葉たちです。

日本が米軍のベトナム攻撃の前線基地だったこととか、米軍基地から脱走する兵たちを追った<イントレピッドの4人>と言う映画があったとか、反戦万国博覧会なるカウンターカルチャーのイベントがあったとか、<>を多用して書くバリケード表現とか…。

なんだか、知れば知るほどもっと知りたくなるキーワードが、展示会ではたくさん紹介されていました。

 

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私はあまりテレビを観る方ではないのですが、ドキュメンタリー番組は大好きで、BS-TBSの<サタデードキュメント>やBS日テレの<NNNドキュメント>、そしてフジテレビの<ザ・ノンフィクション>を録画して観ています。

なんとなくですが、ここ最近はこれらの番組で、下筌ダム反対運動や水俣病との闘争を続ける患者さんや弁護士さんなど、60年代や70年代の市民活動が取り上げられることが増えている気がします。

やっぱり、一人ひとりの行動の起こし方を、もう一度考える時期なのかも?

 

…もう一回行こうかなぁ。

 

<「1968年」-無数の問いの噴出の時代->

第1部 「平和と民主主義」・経済成長への問い

 

第2部 大学という場からの問い―全共闘運動の展開

  • 【第1章】1960年代の大学
  • 【第2章】全共闘運動の形成と展開
  • 【第3章】大学闘争の全国展開
  • 【第4章】闘争の沈静化と遺産

 

Happy Collaboration! 

 

余白と闇 - 読書メモ『「無知」の技法 Not Knowing』

オリジナルはこちら(2017/9/6)

 

「知識があること」が、常にポジティブな結果をもたらすわけではない。むしろそれがネガティブな状態を招くこともある。
— 「まあそうかな。」と多くの人がおそらく感覚的に同意するんじゃないでしょうか。知識があるが故に二の足を踏んだり、必要以上に用心深くなってしまったり…。
要するに、頭でっかちの弊害。

しかし一方で「とはいえトータルに考えれば、知識はないよりもあった方がいい。それも、あればあるほど。」とも思っているんじゃないでしょうか。
あなたは違います?

「無知」の技法 Not Knowing 不確実な世界を生き抜くための思考変革』は、人間が「知識」に対して抱くそんなアンビバレントさの心理的、社会的な理由や、それが弊害を起こす構造を丁寧に解説するところからスタートします。

そして、歴史的な出来事から日々の暮らしでの一場面、政治・経済の大事件からビジネスでのよくある光景までさまざまなストーリーを示すことで、ゆるやかに、それでいて力強く知識や知恵に対するスタンスの自主的なアップデートを迫ってきます。

 

  • 「知らない」というのは状態ではなく動作だ。無知と対峙するプロセスのことだ。
  • 左脳はいつでも秩序と理屈を探している。それが存在しない場合でも
  • 私たちはさまざまな方法で未知から逃げようとする(…)主導権を振りかざすか、受動的に引き下がるか、延々と分析を続けるか、悲観的思考(すべては最悪の事態になると想定する)に逃げ込むか、拙速な行動に出るか、多忙なふりをするか、あるいは手っ取り早い応急措置を施すか
  • 権威に対して服従していれば、知らないという不安や苦しみを感じなくてすむ。だが、盲目的に服従することは、正しい判断をする力も、本当の能力を発揮する力も奪う
  • 余白は何かが「ない」のではなく、空間が「ある」のだ

 

この本が出版されたのは2年近く前で、発売後すぐに話題になっていたようですが、私は今回初めて手にしました。そして「読むべきタイミングで読んだ」と感じました。

「知らないということをきちんと受け入れよう。受け入れた上で対峙しよう」 — これが私がこの本から受け取った一番のメッセージです。そしてそれは「今ここ自分」を受け入れることに他ならないのかな、と。 

 

 

 

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この本の書評はウェブ上にもたくさん出ているようで、私もいくつか読んでみました。そして「不思議だな」と思ったことが1つありました。

それは、本の中にたくさん出てくるおもしろい画像イメージについて、ほとんど取り上げられていないこと。

あんまりたくさんアップすると怒られてしまうかもしれないけれど、いくつか写真に撮ったのが上のものと下のものです。

 

最後に、本の最後にAPPENDIXとして付いている、心もとない不安な気持ちに耐える強さを育てるための「問い」から、一部を紹介して終わりにします。

『どんな答えが出ても、それがファイナルアンサーだと決めつけないこと』というのが注意事項ですよ!

 

 

 

 

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・知についての問い

自分にとって知識とは何か。仕事で有能とみられることをどれだけ重要視しているか。専門知識や経験は、どれだけ自分を助けているか、あるいは妨げになっているか。

・「既知と未知との境界線」についての問い

生活の中で、固定された思考回路を使っている場面は、どこにあるか。無能に見えること、あるいは無能になることを恐れずにいられるとしたら、どんなことをやってみようと思うか。

・「カップをからっぽにする」についての問い

自分にとって「手放す」とはどういう意味か。自分の命綱を持っている人は誰か。この先もその命綱が支えてくれると、どうしてわかるのか。

・「見るために目を閉じる」についての問い

新しい「見る」方法を浮かび上がらせるために、どんな「目」を閉じられるか

・「闇に飛び込む」についての問い

すでにあるものの中から、「とりあえずいじってみる」、つまり実験できるものをどう引き出せるか。

・「『未知のもの』を楽しむ」についての問い

弱さが強みになる場面はどこにあるか。職場で、どんな工夫があれば、人々が自分の弱みを見せられるようになるか。

 

答えの分かっている、知っている「問い」ばかりだったでしょうか?

もしそうなら、そんなあなたにこそ!

 

Happy Collaboration!

エンタープライズソーシャルとビッグデータ

オリジナルはこちら(2017/2/22)

 

当記事は2013年5月にin the looopに寄稿したものですが、元記事が削除されましたので転載します。


 

 エンタープライズソーシャルとビッグデータの関係

 

ここ1,2年で急速に(少なくともビジネス界隈では)市民権を得た言葉があります。「ビッグデータ」という言葉です。

きっと、毎日のように皆さんも目に耳にしているんじゃないでしょうか?

 

ではみなさん、エンタープライズソーシャルとビッグデータ、この2つの言葉には強い結び付きがあるのはご存知ですか?

 

エンタープライズソーシャルが活性化すると…

 

エンタープライズソーシャルの土台となるのは、社員一人ひとりの自律的な活動です。

なお、ここで、読者の皆さんとの認識を合わせておきたいのですが、私Pachiがエンタープライズソーシャルと書くときに指し示すのは、企業内の個人が「業務を含めた」コミュニケーションやコラボレーションを実施するプラットフォームです。

 

まれに「当社では、業務の話をエンタープライズソーシャル上で行うことは禁止しています。エンタープライズソーシャルは福利厚生の延長線上にあり、仕事から距離を置いたコミュニケーションのためのものですから。」という話を聞くこともあります。

 

エンタープライズソーシャルをどう捉えてどう使うかはもちろん自由なわけですが、福利厚生のクラブ活動が業務とみなされないように、そこで業務を行わないのであれば、私にとってはそれはのエンタープライズソーシャルの定義からは外れるものです(なお、クラブ活動はコミュニケーションの機会としてとても貴重なものだと私は思っています)。

 

エンタープライズソーシャルがうまく活用されている、活性化しているという状態は、社員一人ひとりが積極的に情報の発信者や流通者となっていることを意味します。

 

このように場が活性化しているとき、そこでは以下の図にあるフロー情報もストック情報も増え続けているはずです。

(画像はコラボレーション・エンジニア 大川宗之さんに提供いただきました)

 

簡単に、エンタープライズソーシャルにおけるフロー情報とストック情報の関係を解説しておきます。

 

多くのイノベーションが新しいアイデアや考え方によって生みだされている。
そこには強い瞬発力と拡散力で情報をフローさせるタイムライン型のツールが必要とされる。

 

しかし、イノベーションの多くは、これまでの技術の組み合わせによって編み出されることが多いのもよく知られている。
そして、用いられている技術が自社のものであれば、そのイノベーションが自社を強くする可能性は格段と高くなる。

 

自社内にストックされている有益な情報がフローに乗りやすいよう、シームレスにストックとフローの仕組みがつながっている方が良い。

 

でも、ちょっと待って下さい。

情報とその流通量の増加は、すべてが「良いこと」でしょうか。

 

エンタープライズソーシャルに対する意識や活用目的が正しく認識されていなければ、情報の増加が「無駄な情報に対する余計な作業」の増加につながる可能性も否定できないのではないでしょうか…?

 

エンタープライズソーシャルが作業の増加を招く?

 

エンタープライズソーシャル上で交わされるコミュニケーションの増加が、そこでインプットされた情報への対応作業の増加と比例していては、社員にとっては単なる「処理作業の増加」にしかならないという事になります。

 

おそらく、仕事にまじめに取り組んでいる社員は、現在すでに100%に近い業務をこなしているはずです。

そんな彼らに、これ以上の処理作業を与えることは、中長期的に考えて企業にとって良いことではないでしょう。

 

増やすべきは処理作業というやらされ仕事ではなく、目的意識から生まれる自発的な取り組みであり、それに費やすための時間です。

 

そうでなければ、自分たちを苦しめる結果になるであろう情報を、誰が好き好んで発信/流通させるでしょうか?

 

 大丈夫! たくさんのムダが減ります

 

ところで、エンタープライズソーシャルにおいて、Facebookにおける「いいね!」的な仕組みが一番役に立つのは、次の1~3のどれだと思いますか?

  1. いいね!を貰おうと社員がいい話や面白い話を書くようになり、PV(ページビュー)やUU(ユニークユーザー)が増える

  2. いい話や面白いニュースが社内に拡がりやすくなり笑い顔が増える

  3. 趣味の話などが社内に増え、コミュニケーション量が増える

 

どれも良いことではありますが、それが一番ではありません。

 

エンタープライズソーシャルにおける「いいね!」の真骨頂は、自社にとって高価値の情報や資料を高頻度、広範囲にフローさせるところにあります。

 

簡単に、高価値情報が社内に頻繁かつ広範囲にフローする仕組みを解説します。

 

ある人がいいね!した情報や資料は、その人とつながっている他の社員のタイムラインに表示されます。

 

個人によりつながっている人の多さに違いはあるものの、「いいね!する人の多さ」と「情報がタイムラインに表示される頻度」は比例します。そして「情報が表示される頻度」と「情報が活用される頻度」も比例の関係にあります。

 

また、表示頻度と活用機会が増えることで、情報が社内の別のクラスターに「飛ぶ」チャンスも増えます。

クラスター間の接点になっている人が「いいね!」をすることで、有効活用される機会が増えるのです。

 

そしてこれが積み重なっていくと、価値の高い情報や資料が社内に拡がり、それ以外のものは収束していくようになっていきます。

 

これが意味するところは「減るものもたくさんある」ということです。

具体的にいくつか挙げてみましょう。

 

  • 情報を無駄に探しまわる時間
  • すでに存在している資料をゼロから作り始めてしまうような無駄な作業の時間
  • 誰が特定の情報に詳しいかを調べまわる時間

 

エンタープライズソーシャルが企業の戦略や方向性を決める

 

ここまで、エンタープライズソーシャルのデータ増加が社員個人、あるいはグループにもたらす影響を見てきました。また、ビッグデータの「量」の側面を捉えてきました。

 

ビッグデータという言葉にはまだはっきりと定義されていない部分もあり、また、正直その言葉を聞く人によりイメージするものに大きな違いがあるのが現状だと思います。

 

自分たちに都合よく解釈したものが多いことも否めず、「胡散臭さ」を感じる人がいるのも無理もないことだろうと私自身も思っています。

それでも、大雑把には、以下のような特性があるのがビッグデータではないでしょうか。

 

  1.  データ量の多さ
  2.  データの質が非構造型だったり、不定形のものも
  3.  データソースの多元性
  4.  データの組み合わせが新しい何かにつながりやすい

 

今後、ビッグデータ活用方法や分野はより一層洗練され、マーケティングや製品開発、セールスやサポートなど、ビジネスのさまざまな局面やあらゆる部門に大きな変化をもたらす可能性が高いでしょう。

 

そして、エンタープライズソーシャル上で発生するデータも、自社発のビッグデータの主要構成要素と捉えられ、社員の意識や行動ログがその他のさまざまな情報と共に分析や解析され、自社の重要戦略や方向性を左右することになる日もそう遠くはなさそうです。

 


 

今回は、エンタープライズソーシャルとビッグデータの関係を、今とこれからの視点を交えて書きました。

 

自社のソーシャルシフトが順調に進むかどうかが、社員一人ひとりの行動次第という未来 — 私はとってもワクワクしています。

 

Happy Collaboration!

 

本物のリーダーシップとマインドセット(『女性が管理職になったら読む本』読書メモ)

オリジナルはこちら(2016/11/25)

 

『「キャリア」と「自分らしさ」を両立させる方法』という書名の本と『女性が管理職になったら読む本』という書名の本と、あなたが気になるのはどっちですか?

それでは、気になるだけじゃなくて、実際に手に取って読んでみようと思うのはどちらですか?

 

数カ月前に手に取り、すごくおもしろくて長い「自分専用読書メモ」を取ったのが上記書名の本でした。

そう一冊の同じ本で、メインタイトルが『女性が管理職になったら読む本』で副題が『「キャリア」と「自分らしさ」を両立させる方法』です。

 

IBM社内有志の「新しい働きかた研究会」でもオススメの一冊として紹介しているのですが、私はこの本を、メインタイトルとはまったく異なり、女性向けではない(むしろ男性向けだと思う)し管理職かどうかにも関係していないと思っています。
読むべきは「自分らしくあることと組織で求められる行動に、矛盾ややりづらさを感じている人」じゃないかと感じています。

 

さらには「あらゆる場所・組織で、リーダーになっている人 / リーダーになろうという意思を持っている人」にも強くオススメしたいです。

なお、ここでいうリーダーは、役職とか肩書きは一切関係がありません。そして、私が思い描いているリーダーとリーダーシップについて、この本の後書きでとても分かりやすく、ぴったりの説明が書かれていました。

 

『リーダーとは、まわりの人たちを励まし、動機付けて、行動を起こすエネルギーを与えること』ができる人

「オーセンティック・リーダーシップ」とは『現状に甘んじることなく日々自分を訓練する、自分の価値観に基づく理想を追求する』リーダーシップ

 

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こんな風に、いろいろなところでこの本のことを話していたら、昨日、訳者の、というかこの本の実質的なプロデューサーの1人であり構成者である小崎さんとじっくりお話しさせていただく機会がありました!

現在の株式会社Warisでワークスタイルクリエイターとしての活動や、前職の日本総研時代に「なでしこ銘柄」の策定に関わられていた頃のお話など、本当に私が聞いてみたかった話をいろいろ伺うことができました。

(先日『「レジリエント・カンパニー」と人を動かす指標』に書いた指標の役割:「自分たちの進むべき方向や道のりを伝えてくれる力強さと包容力を持つ、未来へ向けた地図のようなもの」だと思うと書きましたが、それに対してすごく力強いエールをいただけました。)

 

私が思うこの本の最大のポイントは以下です。

  • 社会のマインドセット(思い込みや先入観)を理解して、活用しよう
  • 自分の特質や性格を深く理解して、それに応じて「行動」を変えよう
  • 「作動的」とも呼ばれる「ヒエラルキー型の思考」と、「共同的」と呼ばれる「コミュニティー型の思考」を理解して使い分けよう

 

それぞれ、複数の側面から「なぜそうすべきか」が紹介されているのですが、この本の特徴は、それらの説明を情緒的なものに頼るのではなく、心理学の実験や統計から読み解いている点です。

いくつか、重要なデータや考察について、小崎さんがセミナーで語っている内容が文字起こしされているので、こちらを見ていただくのが分かりやすいと思います。

 

女性が「管理職になりたくない」のはなぜ? “無意識バイアス”に支配される私たちの心 (logme | ログミー より)

 

いくつか本を読みながら、とても大きく頷いてしまったところを引用して紹介します:

 

 

リーダーである私の言うとおりに動きなさい」という交換型リーダーシップでは、リーダーの指示が適切でないと質の高いアウトプットが期待できない

 

風貌や生まれもった属性はコントロールできないが、第一印象に重要な影響を与えるマインドセットや行動はコントロールすることができる

 

ネットワークの活性化は、組織の側にとっても望ましいことです。特に、フラット化が進んでいる今日の組織では、上司と部下といった組織上のつながりとは別の非公式で横断的なネットワークが果たす役割の方が重要になってきています(…)「人と人がつながり、そこにシェアやシナジーが生まれるには『信頼』が必要だ」と考えました。ここでは信頼を「他人のある行動に対して無防備でいられること」と定義しています

 

 

最後に、もう一つ気になっていること、そして小崎さんと盛り上がった話のことを書きます。

「女性は自身を過小評価してしまう傾向がある」という話がいくつかの例と共に書かれています。そして、その原因が本人や周囲の「女性は女性らしく」というマインドセットや無意識のバイアスが強く関与しているためだと。

 

でも、実際には、本人や周囲の話だけではないですよね。。ありとあらゆるところで「xxxらしさ」を求める人がいたり、それこそまったく無意識のうちに、自分が「女の子には優しくしなくちゃダメよ」とか「男の子なんだから泣かないで我慢しなさい」とか、ちゃんと考えると「にはとかなんだからとかいる?」って言葉が日常には溢れていますよ。

「らしさ」を求めているのは、他の誰でもない自分自身。

 

…もちろん、そうした細かいことすべてを気にしていたらキリがないし疲れちゃうけど、でもときどき、自分自身や身の回りを「あれ?」って見直してみるのが良さそうな気がします。

本でも紹介されている、感動的な動画を貼り付けてお終いにします。

 

 

Happy Collaboration!