Pachi's Blog Annex ~自薦&自選よりぬき~

『Pachi -the Collaboration Energizer-』の中から自分でも気に入っているエントリーを厳選してお届けします♪

私訳 | テクノロジーに纒わされた覆いを現実から剥ぎ取るアート

オリジナルはこちら

「おお、これはいいぞ! おもしろいし、実際に使ってみたい作品ばかり。」

そんなふうに感じるアーティストのTEDトークに出会いました。

Art that reveals how technology frames reality by Jiabao Li

 

まだ日本語訳が提供されていないのですが、多くの人に知ってもらいたいと思ったので私訳しました。ぜひ一度見てみてください。

 

I’m an artist and an engineer. And lately, I’ve been thinking a lot about how technology mediates the way we perceive reality. And it’s being done in a super invisible and nuanced way. Technology is designed to shape our sense of reality by masking itself as the actual experience of the world. As a result, we are becoming unconscious and unaware that it is happening at all.

私はアーティストでありエンジニアです。そしてここのところ、私はテクノロジーが私たちの現実認識にどれほどの影響を与えているかについて、考え続けています。非常に気づきにくく、目には見えない形で進んでいるのです。

現実感とは、世界を実態として認知し感じることですが、テクノロジーはその感覚に覆いを被せています。その結果、私たちは無意識でそこで起きていることに無自覚になっているのです。

 

Take the glasses I usually wear, for example. These have become part of the way I ordinarily experience my surroundings. I barely notice them, even though they are constantly framing reality for me. The technology I am talking about is designed to do the same thing: change what we see and think but go unnoticed.

私も普段かけているメガネに例えると分かりやすいでしょう。メガネは常に私の環境をフレーミングしています。でも、私がそれを意識することはまずありません。

テクノロジーも同じようにデザインされています。見ているものと捉え方を変化させているのに、それに気づかせないのです。

 

Now, the only time I do notice my glasses is when something happens to draw my attention to it, like when it gets dirty or my prescription changes. So I asked myself, “As an artist, what can I create to draw the same kind of attention to the ways digital media — like news organizations, social media platforms, advertising and search engines — are shaping our reality? So I created a series of perceptual machines to help us defamiliarize and question the ways we see the world.

私がメガネに気がつくのは、レンズが汚れたときとか視力が変化したときとか、注意を引かれる何かが起きたときだけです。「アーティストとして、ニュースメディアやソーシャルメディア・プラットフォーム、広告、検索エンジンなどのデジタルメディアと同じように注目を惹きつけ、現実を形作るものをどのように創れるだろうか?」。私は自分に問いかけました。

こうして、私は世界の見かたを異化し疑問を投げかけるための、一連の知覚装置を創ったのです。

 

For example, nowadays, many of us have this kind of allergic reaction to ideas that are different from ours. We may not even realize that we’ve developed this kind of mental allergy. So I created a helmet that creates this artificial allergy to the color red. It simulates this hypersensitivity by making red things look bigger when you are wearing it. It has two modes: nocebo and placebo. In nocebo mode, it creates this sensorial experience of hyperallergy. Whenever I see red, the red expands. It’s similar to social media’s amplification effect, like when you look at something that bothers you, you tend to stick with like-minded people and exchange messages and memes, and you become even more angry.

Sometimes, a trivial discussion gets amplified and blown way out of proportion. Maybe that’s even why we are living in the politics of anger. In placebo mode, it’s an artificial cure for this allergy. Whenever you see red, the red shrinks. It’s a palliative, like in digital media. When you encounter people with different opinions, we will unfollow them, remove them completely out of our feeds. It cures this allergy by avoiding it. But this way of intentionally ignoring opposing ideas makes human community hyperfragmented and separated.

 

今日、私たちの多くが、自分のとは異なる考え方に対し、いわばアレルギー反応を示します。自分ではこの種の「精神的アレルギー」を発症したことすら気付いていないのかもしれません。

だから、私は「人工赤色アレルギーヘルメット」を作りました。これを着用すると赤色が大きく見える擬似過敏症が発動します。

ヘルメットにはプラシーボとノセボの2つのモードがあります。

ノセボモードでは、過敏アレルギー感覚を体験することができ、視界に入った赤色が拡大していきます。これはソーシャルメディアの増幅効果に似ていて、気に入らないものが目に入ると、自分と同じような考えの人たちと同じような意見や情報ばかりをやりとりするようになり、やがて最初よりも怒りを大きくします。

些細な議論なのになんだか熱くなり過ぎ、怒りを大爆発させてしまうことってありますよね。もしかしたら、私たちが怒りの政治の時代を生きているのはそのせいなのかもしれません。

プラシーボモードは精神的アレルギーの人工治療モードで、視界内の赤色が縮小します。苦痛緩和療法のようなもので、デジタルメディアで言えば自分と異なる意見の人をアンフォローしたり、タイムラインに表示されないようブロックするようなもので、アレルギーを引き起こすものを回避することで治療します。

でも、反対意見や考えを意図的に無視するこの方法は、社会を超断片化しコミュニティーを分断させるものですよね。

 

The device inside the helmet reshapes reality and projects into our eyes through a set of lenses to create an augmented reality. I picked the color red, because it’s intense and emotional, it has high visibility and it’s political. So what if we take a look at the last American presidential election map through the helmet?

ヘルメット内部のデバイスは、現実を再構築して作り上げた拡張現実を、レンズを通して私たちの目に投影します。私が赤を対象としたのは、それが情熱的で感情的で、とても目に付きやすくまた政治的だからです。

このヘルメットを通じて前回のアメリカ大統領選を見てみましょう。さあどうなるでしょうか?

Jiabao Li – transvisionより

 

You can see that it doesn’t matter if you’re a Democrat or a Republican, because the mediation alters our perceptions. The allergy exists on both sides.

民主党支持者か共和党支持者かは関係ありません。ヘルメットの介在が私たちの認知を変容させますから。アレルギーはどちらの側にも存在しているのです。

 

In digital media, what we see every day is often mediated, but it’s also very nuanced. If we are not aware of this, we will keep being vulnerable to many kinds of mental allergies.

私たちが日々デジタルメディア上で目にするものは、たいていなんらかの媒介作用を受け意味付けされています。それに無意識なままでいるということは、さまざまな種類の精神的アレルギーに脆弱でい続けるということを意味します。

 

Our perception is not only part of our identities, but in digital media, it’s also a part of the value chain. Our visual field is packed with so much information that our perception has become a commodity with real estate value. Designs are used to exploit our unconscious biases, algorithms favor content that reaffirms our opinions, so that every little corner of our field of view is being colonized to sell ads. Like, when this little red dot comes out in your notifications, it grows and expands, and to your mind, it’s huge.

認知とは私たちのアイデンティティの一部であるだけでなく、デジタルメディアにおいてはバリューチェーンの一部でもあります。私たちの視野はメディアを埋め尽くす大量の情報に奪われ、その場所には地価が付けられて商品としてやりとりされています。

デザインは私たちの無意識の偏見を食い物とするのに使われ、アルゴリズムはエコーチェンバーを起こさせるのに用いられます。こうして視野のあらゆる場所が、広告売買のための占領地とされてしまうのです。

通知を意味するこの小さな赤い点が拡大していき、あなたの意識を覆ってしまうように。

Jiabao Li – Pluginより

 

So I started to think of ways to put a little dirt, or change the lenses of my glasses, and came up with another project. Now, keep in mind this is conceptual. It’s not a real product. It’s a web browser plug-in that could help us to notice the things that we would usually ignore. Like the helmet, the plug-in reshapes reality, but this time, directly into the digital media itself. It shouts out the hidden filtered voices. What you should be noticing now will be bigger and vibrant, like here, this story about gender bias emerging from the sea of cats.

そこで、私は小さな汚れを加えるか、レンズを交換させる方法を考えるようになり、新たなプロジェクトをスタートさせました。なおこれは概念的なもので実際の製品ではありませんので、その点はご留意ください。

これはウェブブラウザのプラグインで、普段は気にならないものを気づかせるためのものです。先ほどのヘルメットは現実を違う形に変化させて使用者に見せていましたが、こちらは直接デジタルメディア側を変化させます。覆い隠されたメディアの声を、大声で指摘するのです。

こちらでは、大量のネコ記事の中から、性別バイアスに関する記事が大きく目立つように表示されるよう変化させていますね。

 

The plug-in could dilute the things that are being amplified by an algorithm. Like, here in this comment section, there are lots of people shouting about the same opinions. The plug-in makes their comments super small.

こちらのプラグインは、アルゴリズムが増幅したものを希釈しています。例えばこちらのコメント欄は、多くの人たちの同じような意見で一杯になってしまっています。それをこのプラグインが表示サイズを小さく変化させています。

 

So now the amount of pixel presence they have on the screen is proportional to the actual value they are contributing to the conversation.

ピクセルの量、つまり画面上を占めるスペースを、会話への貢献量と比例するように変化させているのです。

 

The plug-in also shows the real estate value of our visual field and how much of our perception is being commoditized. Different from ad blockers, for every ad you see on the web page, it shows the amount of money you should be earning.

またこのプラグインは、視野の不動産価値と認知の商品化がどれくらい進んでいるかも表示します

既存の広告ブロック機能とは、広告を除去するのではなく表示広告がそれぞれいくらで、あなたが稼ぐべき金額がいくらなのかを表示するところが異なります。


Jiabao Li – Pluginより

We are living in a battlefield between reality and commercial distributed reality, so the next version of the plug-in could strike away that commercial reality and show you things as they really are.

私たちが暮らすこの社会は、現実と商業的分散現実の戦いの場です。

プラグインの次期バージョンは、商業的現実を打ち消し実際の現物をお見せするためのものとなるでしょう。

 

Well, you can imagine how many directions this could really go. Believe me, I know the risks are high if this were to become a real product. And I created this with good intentions to train our perception and eliminate biases. But the same approach could be used with bad intentions, like forcing citizens to install a plug-in like that to control the public narrative. It’s challenging to make it fair and personal without it just becoming another layer of mediation.

さて、これらのテクノロジーがさまざまな方法で用いることができることがお分りいただけたと思います。

もちろん、これを実製品とすることがどれほどの危険を伴うかは私も分かっています。私は善意の元、認知力を鍛え偏見を排除するためのものとしてこれらを作りました。でも悪意の元に、このプラグインを強制導入させ、民衆の声の統制を図るといった使い方だって考えられます。

単なる別レイヤーの介在とならないよう、テクノロジーを公正で私的なものとするのは難しいチャレンジなのです。

 

So what does all this mean for us? Even though technology is creating this isolation, we could use it to make the world connected again by breaking the existing model and going beyond it. By exploring how we interface with these technologies, we could step out of our habitual, almost machine-like behavior and finally find common ground between each other.

これらは一体、何を意味しているのでしょうか?

テクノロジーがこの分離を生み出しているとしても、私たちは既存モデルを破壊して乗り越えることで、テクノロジーにより再び世界をつなげることができます。これらのテクノロジーとの関わり合いを探求することにより、私たちは機械じみた習慣的な行動を打ち破り、最終的にお互いの共通点を見つけ出すことができるのです。

 

Technology is never neutral. It provides a context and frames reality. It’s part of the problem and part of the solution. We could use it to uncover our blind spots and retrain our perception and consequently, choose how we see each other.

Thank you.

テクノロジーは決して中立ではありません。現実に対してコンテキストと枠組みを加えます。それは問題の一部でもあり解決策の一部でもあるのです。

私たちはテクノロジーで自分たちの盲点を発見し、認知を再訓練できます。そうやって、お互いの受け止めかたを選べるようになるのです。

ありがとうございました。

 

Happy Collaboration!

 

 

ランダムノート | 原研哉さんの講演会「日本、モダニズムを挟む過去と未来」

オリジナルはこちら

原研哉さんの講演会「日本、モダニズムを挟む過去と未来」を聴いてきました。

すごくおもしろかったので、原氏が語られた言葉と見せてくれた映像の中からランダムなノートを、先日読んだ原氏の著書『デザインのデザイン』の中の言葉と合わせていくつか。

 

■ グローバルになればなるほど、ローカルの価値が高まっていく。

グローバルというのは合理性であって実体はなく、価値の根源となる文化を持っているのはローカルだから。

国境を越えて動く人は現在は毎年12〜3億人。ここ10年で18億人にまで増え続けると予測されている。

移動が常態となる「遊動の時代」に生きるニュー・ノマドたちの眼に映っているのは、グローバルではなくローカルの持つ価値。

 

原氏のこの言葉は、『デザインのデザイン』に書かれていた氏がリードしている無印良品についての2つの文章を思い出させました。

・ センスの悪い国にセンスのいい国の商品が入ってきた場合、センスの悪い国の人々は入ってきた商品に触発されて目覚め、よそから来た商品に欲望を抱くだろう。しかしこの逆は起こらない(…)その企業がフランチャイズとしている市場の欲望の水準をいかに高水準に保つかということを同時に意識し、ここに戦略を持たないと、グローバルに見てその企業の商品が優位に展開することはない。

無印良品の思想はいわゆる「安価」に帰するものではない。コストを下げることに血眼になって大切な精神を失うわけにはいかない。また、労働力の安い国でつくって高い国で売るという発想には永続性がない。世界の隅々にまで通用・浸透する究極の合理性にこそ無印良品は立脚すべきである。したがって現在では、最も安いということではなく、最も賢い価格帯を追求し、それを消費者に訴求しなくてはならなくなった。

 

なお、講演会でも無印については触れていて、「豪華に誇らしさを感じるのではなく、むしろ引け目を感じさせるのがMUJIである」と表現されていました。

■ 世界地図を右に90度回転させるとユーラシア大陸の底にあるのが日本

応仁の乱が、<藤原(公家)の「豪華絢爛」から足利(武士)の「無」>へと文化体系をリセットした。

この変化の時に、「無: emptiness」から生まれる空間づくりや、空間を活かす建築や生け花、器などのアート・デザイナーが生まれた。

日本という国は、世界地図を右に90度回転させるとユーラシア大陸の底にあり、パチンコ台の受け皿のようになっている。ヨーロッパから発生したものがアジアや中東に発展し変化・熟成して落ちてくるるつぼという特殊な位置にある。

 

「無」の捉え方は原氏がよく語られている「白(代)」ともつながっていて、日本的な美(意識)を考える上でやっぱり外せないのだなぁと改めて思いました。下記に『デザインのデザイン』から2つの文章を。

・ 新奇なものをつくり出すだけが創造性ではない。見慣れたものを未知なるものとして再発見できる感性も同じく創造性である。既に手にしていながらその価値に気づかないでいる膨大な文化の蓄積とともに僕らは生きている。それらを未使用の資源として活用できる能力は、無から有を生み出すのと同様に創造的である。僕らの足下には巨大な鉱脈が手つかずのまま埋もれている

・ 「これがいい」ではなく「これでいい」という程度の満足感をユーザーに与えること。「が」ではなく「で」なのだ。しかしながら「で」にもレベルがある(…)「が」は時として執着を含み、エゴイズムを生み、不協和音を発生させることを指摘したい。結局のところ人類は「が」で走ってきて行き詰まっているのではないか。消費社会も個別文化も「が」で走ってきて世界の壁に突きあたっている。

 

ところで、何もない空白に価値を見出すのが得意だった日本文化が、ある場所においては「余白があると死んじゃう病」にかかっているのは興味深いですね。

 

いーえく@aqilaEX
 

この意味不明な改変が日本映画界の敗北そのものって感じ。

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kngrow ◢ ◤@nonoknglownnkjp
 

余白があると死ぬ病気を罹患しており、治療法は未だ見つかっておりません(南無 numb

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1,813人がこの話題について話しています
 

 

 

 

■ 威圧感と恐怖を与える全面幾何学模様を逆転したモダニズム

中東の幾何学的模様や、ヨーロッパの豪華な装飾様式。これらは王族や貴族の権力の象徴であり、市民に恐れを抱かせるという効用を持っていた。

それを逆転したのがモダニズム(近代的な自意識の表れ)でありバウハウスなどのポストモダンへと続く。

 

こちらも『デザインのデザイン』から。

・デザイン思想の背景には、少なからず社会主義的な色彩があった。ラスキンやモリスはものづくりが機械生産と直結した経済に牛耳られることを毛嫌いしていたし、バウハウスの誕生はワイマールの社会民主主義政府の手によって行われたわけで、いわゆる社会民主主義的風潮がバウハウス的思想を助長したとも考えられる。要するに、デザインの概念は少なからず理想主義的な社会倫理を前提として考えられてきた経緯があり、それは純粋であるほどに経済原理の強力な磁場の中ではその理想を貫く力が弱かった

・ デザイナーとしての自分は意図の明確な、意志的な計画に関与したいと思う。「核反対」とか「戦争反対」というような何かを反対するメッセージをつくることに僕は興味がない。デザインは何かを計画していく局面で機能するものであるからだ。環境の問題であれ、グローバリズムの弊害で問題であれ、どうすればそれが改善に向かうのか、一歩でもそれを好ましい方向に進めるためには何をどうすればよいのか。そういうポジティブで具体的な局面に、ねばり強くデザインを機能させてみたいと考えている。

最後に質問を受け付けてくれる時間があったので、それまでの原氏の話から飛躍する部分があるのは承知で以下の質問をしてみました。

「王政をひっくり返してモダニズムが生まれ、それを支える民主主義がヨーロッパで発達したのだとしたら、日本の皇室をひっくり返しめミニマリズムが生まれたあと、なぜ日本では民主主義が育たなかったのだと思いますか?

ご自身を”デザイナーとしてビジュアライズする役割”と捉えられているということでしたが、民主主義という大きな社会デザインに対してはどのようなスタンスでいらっしゃいますか? 今後の関わりかたなど、なにかお考えのことがあれば教えてください。 」

 

原氏の答えは以下のようなものでした。

ヨーロッパにはまだ古き良き伝統を良しとする、それをかっこいいものとして受け止める文化も根深く残っている。民主主義が、デザインの観点で素晴らしいものを今後生み出し続けていくかどうかはまだ分からず、時期尚早かも。

そんな中で僕が注目しているのは、中央ヨーロッパアメリカではなく北欧。あそこには民主主義を中心に置いた暮らしや生活がいち早く根付きつつあって、あの辺りが今後の文化の発祥の地となっていくのかもしれない。

日本にも「緻密・丁寧・簡潔・繊細」に代表される価値の源泉が多数残っているので、今後独自のローカルを発信していくのではないか。

 

うーん。「民主主義との関わりかた」には直接的には答えてもらえなかったような気もするけれど、氏が今取り組んでいる『低空飛行 – HIGH RESOLUTION TOUR』を見ていれば、直に答えが浮かび上がってくるのかもしれません。

 

他にも取り上げたい話はたくさんあるのだけれど、おれの稚拙な文章よりもこの2ページを見たほうが良いかもしれません。

なお、今回テキストの間に配置した動画は、下記の「NEO-PREHISTORY──100 Verbs: 新先史時代──100の動詞」に置かれたもので、原氏が講演の中で時間をしっかり取って紹介していたものでもあります。

Happy Collaboration!

 

 

状況と役割と関係性。あるいは偏見とイマーシブとインプロ。

オリジナルはこちら

www.ibm.com

スマホによって、人は退屈さや居心地の悪さというものに対する耐性を(ますます)失った」という話は数年前からちょこちょこ耳にする話。それはおそらく真実だろう。自分のことを考えても、エレベーターを待っている間とか、スマホをいじっていることも少なくない。

ただ、おれの場合は、それを無意識にやっているわけではなくて。
ほとんどの場合「この隙にメールチェックをしておこう」とか「退屈だから時間を潰そう」とか思って、意識的にやっている。

またそれと同じように、意識して「なんかちょっと居心地悪いなこの状況…。意識をここから切り離してしまえ」ってスマホを使うことも少なくない。

電車の中、処方箋薬局の待合室、早く着いてしまったスタート前のセミナーやワークショップ会場…。状況によっては罪悪感みたいなものも感じながら。

みんなはそんなことないのかな?

 

職場に潜む「見えない偏見」をあぶりだす! 9月1日(日) REVERSE開催 | 株式会社ソフィア

 

先日『REVERSE -見えない自分を知ることからコミュニケーションを変える-』という研修に参加してきました。

簡単に説明すると、アンコンシャス・バイアス(無意識の偏見)を、イマーシブ(没入型)演劇やインプロ(即興劇)を通じて浮かび上がらせて、自身のコミュニケーションスタイルや状況に対するスタンスを理解しようというものです。

 

簡単な説明になっていない? あるいはワケが分からない?

もう少しだけ細かく(でも、おれ自身の感覚と言葉で)説明してみます。

  1.  アンコンシャス・バイアス – 自分でも意識できていない、十分な根拠のない思い込み
  2.  イマーシブ(没入型)演劇 – 舞台と客席が分離しておらず、その場にいる人がすべて演劇の一部となる(役割を持つ)タイプの参加型の劇
  3.  インプロ(即興劇) – 状況設定がはっきりしない中で、参加者が別の参加者の演技を受けてアドリブで続けていく劇

 

2時間ほどの研修は、まず2番の「職場を舞台としたイマーシブ演劇」があり、その後3番の短い「インプロを含むいくつかのグループワーク」があり、その途中と最後に1番の「アンコンシャス・バイアスに関する気づきの共有」の時間を持つという内容でした。

時間にすればわずか2時間だったものの、自分の心の動きはなかなかダイナミックに、そして同時進行的にいろんなことを感じていた気がします。

あのとき感じたことを今後も思い出せるように、時系列に書いておこうと思います。

 

 

10:15

会場について、差し出された箱の中からボールを一つ掴むと、10と書かれていました。そして座席票(上の写真)が渡されました。

どうやら最初がイマーシブ演劇らしい。でも、なぜかおれだけ他の参加者(番号)から離れていて周りに誰もいない…。やれやれ、なんか特別な席っぽいぞ。ちょっと面倒かも?

でもまあ、周りにあんまり気を使わなくていいからいっか。始まるまで15分くらいあるし、ちょっとスマホでもチェックするか…。

 

10:45

Out Of Theaterの役者さんたち、上手いなぁ。…そしてなんだかこの席、セリフ振られたり声かけられることが多いな……。あっ分かった! 参加者の中でおれだけ役職付きだ! 多分、一番下っ端の…課長代理?

…参ったな、課長代理なんておれには1番遠くて、どう立ち振る舞うキャラ設定にすればいいやら…。…いや待てよ。おれは役者じゃないんだから「演じる」心配は不要じゃね? もっとこの場を味わわないと。

…でも考えてみれば、「この場でおれにとってふさわしい行動ってなんだろう?」って、家にいるとき以外はいつも嗅ぎとろうとしているかも、おれって…。

 

11:00

ああ、もっと関与したい。部長に意見言いたい。課長にも意見言いたい。彼女にも。

あれ? でもおれが「関与したい」って思うのはなんでだっけ。「お芝居上手いですね」って後から褒められたいから? それは違うな。「全体を見れている人」「やるべきことをやれる人」って周りにアピールしたいから? あるいはそうしないでいる自分自身に感じる心地悪さを解消したいから?

…まあ何はともあれ、時間管理の観点からも「超積極的関与」は誰にも求められていないだろうから、味わっていようっと。

あれ、これでイマーシブ終わりか。あー、おもしろかったけどモヤモヤしたなぁ。

 

 

11:15

こっからインプロね。さて何やるのかな。

(アイスブレイク的共同ワークで)ここ多分、サラッと流すところっぽいんだけど、すでにややこしいことしようとしてる人いるな。おれの番で1度リセットできるかな?

……うーん、効果なかったみたい。残念。

 

11:30

体の姿勢が意識に与える影響の話だな。これは昔から結構認識していて、プレゼン前に自己暗示的にガッツポーズ使ったりはしてるんだよね。あ、でもあえて「縮こまった姿を取ることで、相手を喋りやすくする」っていう発想はこれまでなかったな。なるほど。

そしておれは「足を組んだり手を頭の後ろで組む」ポーズが「権力的なポーズ」で、「相手を威圧しようとするポーズ」だって知っているし、「まあ別にそう取られても構わないからいいや、楽だし」ってやってるつもりだったんだけど、もしかしたら、「手を顔に当てる」っていう「不安の表出化を感じさせるポーズ」が自分の癖だって知っているので、そこでバランスを取ろうとしているのかも? — これまで考えたこともなかったけど。

 

11:45

(いくつかお互いのキャラ設定を変更しながらのインプロ直後。)「役割りの力」って強いよなぁ。「あなたはxxxx」って自分の役割を設定されると、積極的にそれにハマりにいく自分がいる。そして「相手はxxxx」って設定でも、同じように相手に合わせた役割を作りハマりにいく自分がいる。

そう言えば、好きだった上司に昔言われたっけ。「あんたは自分のことを分かってないわね。あんたのいいところは、どんなに不安定な状況でも、どうにか着地させて生き延びる道を見つけられるところよ」って。それってこれと関係していたのかも?

 

12:15

さっきのイマーシブでもそうだったけど、おれってものすごく「状況と役割と関係性」にアンテナを立てて生きているんだな。

子どもの頃からずーっとそうだったから、息をするようなもんでほぼ自覚していなかったし、「場の中で足りない役割を見つけて、それを埋めようとする人」とは認識していたけれど。

でも、相手との関係が「一過性」か「頻度は低いけどやりとりがある(あるいは生まれそう)」か「毎日のようにやり取りする(あるいはせざる得ない)」かによって、相当無意識に自分を変化させているな、おれ…。これって態度にも出ているんだろうし、周りにも伝わっているんだろうな。

 

12:30

あ、いまこのImpro Kids Tokyoの講師の方、おれが最近忘れていた大事なことをサラっと言ったな。

「”まあいっか”って誰も言わずに流してしまうと、後からそれが”それでいいこと”や”そういうもの”になってしまいかねない。」 — そうなんだよ。『「空気」の研究』だよ、王様は裸だ。

 

12:45

(会場を離れた電車の中で。)無意識のバイアスについてはこれまで研修に参加したり、自分が研修を企画したりしてきた。その中で、自分なりの「(仮の)答え」を置いてきた。

そもそも人間はバイアスの塊で、バイアスそのものに良いも悪いもない。

悪なのは「不公平な扱い」につながるバイアスである。

(参考: 無意識のバイアス研修に参加しました – ダメパチ撲滅協力のお願い

 

ただ、今日の体験を踏まえると、自分が「無意識の」を置いてきぼりにしてきた気がする。

まずは自分の、あるいは世間のバイアスに意識的であろう。無意識なままでは、同じ失敗を繰り返してもその発端に気づけない。バイアスを意識しよう。無意識ゆえに「不公平な扱い」につながるバイアスを、そのまま気づかないままにのさばらせてしまわぬように。

「(仮の)答え」をアップデートしておこう。

人はバイアスを作り続けるようにできているけれど、それを意識することはできる。

バイアスを常に意識して、それが「不公平な扱い」につながらないように注意しよう。

 

研修を提供してくれたソフィアさん。イマーシブを体験させてくれたOut Of Theaterさん、インプロを味わわせてくれたIMPRO KIDS TOKYOのお2人、本当にありがとうございました!

 

 

ところで、最初に「早く到着したセミナーやワークショップ会場でスマホを使う」と書いたけれど、これは半分本当で半分嘘です。

おれの場合、会場のセッティング(机や椅子の配置)や雰囲気、周囲の人たちの様子を見て、スマホと一緒に1人で時間を過ごすこともあるし、意識的に周囲の人たちに声をかけたりすることを使い分けています。

 

でも、それが主催者のためなのかその場にいる全員のためなのか、はたまたその裏側には「よく思われたい。感心されたい」という気持ちのおれがいるからなのか、自分でもよく分かりません…。

多分、全部がごっちゃになっているんだろうな。

 

Happy Collaboration! 

 

Amazonにて発売中です『フューチャーデザイナー・ブック - 未来を創る方法論と実践方法 -』

オリジナルはこちら


少々前なのですが、コペンハーゲンの戦略デザインファームBespoke社の本『Book of Futures』の日本語版フューチャーデザイナー・ブック – 未来を創る方法論と実践方法 –』が、Amazonで発売開始されました。

今回、私は翻訳をさせていただきました。

『フューチャーデザイナー・ブック』の日本語版と英語版の写真(黒地に白文字が日本語版です。表紙が目次になっています。)

 

フューチャーデザイナー・ブックは、Bespoke社のデザイン・フレームワークの基礎を解説した本で、以前は彼らのワークショップに参加した方に英語版の書籍をプレゼントしていました。

これまで「英語かぁ…。日本語版があったらなぁ」と何人かが小声で言うのを耳にしていましたが、今後は日本でのワークショップ開催時にはこちらの日本語版をプレゼントさせていただきますね。

 

今回はオンデマンド出版という「注文が入るたびに印刷してAmazonが発送する」というスタイルを取ることにしました。これなら、印刷しすぎて紙や倉庫の無駄を発生させてしまうこともありませんし、発送作業に手間を取られることもありませんので。

一方この仕組みにしたことで、料金は少し高めになってしまいました(なお、私自身とBespokeおよびエンゲージメント・ファーストの収益は実質ゼロ円です)。

ただ、私は出版社から「著者割引」で購入できるので、私と直接顔を合わせる機会がある方には500円引きの¥1,700でお渡しすることが可能です。ご希望の方はご連絡ください。

 

パラパラと立ち読みしたいって方は、以前のブログ記事をどうぞ。いくつかリンク貼っておきます。

 

この本がBespoke流のフューチャーデザインズに興味を持ってもらえるきっかけになれば嬉しいし、多くのフューチャーデザイナーが生まれることに少しでも役に立てたら最高の喜びです!

今回の日本語版の出版にあたり、チャンスをくれたエンゲージメント・ファーストの原さんと、細かな部分の確認や修正で多大なサポートをしてくれた我有さんに、最大限の感謝をお伝えします。

忘れてかけていた子どもの頃の「本を出してみたい」って夢が叶いました。嬉しいです。本当にありがとう!

 

あ、それから「Kindle版が出たら購入したい」という方がいたら教えてください。ある程度の人数がいるようであれば、Kindle出版も検討しようと思っています(こちらは価格をグッと押さえて半額くらいにできるかな?)。

最後に、今回の出版に寄せて原さんと我有さんと3人で書いた序文をこちらにも掲載します。

 

エンゲージメント・ファーストより日本語版の出版によせて

 

ビスポーク社との出会いは2017年の秋でした。

弊社親会社のメンバーズは、世界幸福度ランキング1位常連国のデンマークの生産性、働き方、従業員の幸せ、学び方、イノベーションなどをベンチマークし、その考え方や手法を経営の根幹に取り入れようと、経営陣や社員が頻繁にデンマークを訪問し、研究を進めていました。

その際、デンマークに造詣の深い株式会社レアの大本氏に、ビスポーク共同創業者のルネとニコラスの紹介を受けたことがきっかけでした(この3人はデンマークのビジネス・デザイン・スクール「カオスパイロット」の同級生です)。

 

最初のデンマーク訪問で強く感じたのは「心地よさ」「幸福感」でした。家具やグラフィックだけでなく、すべてがデザインされていました。そう、人間や地球が幸せになるような設計が至る所でなされていたのです。

デンマークのデザインスクール・コリングで校長や教授陣と対話した際には、デザインの根底に「People」「Planet」「Play」「Profit」という4Pを掲げていくことを教わり、腑に落ちた気がしました。

その後デンマークを再訪して分かったのは、デンマーク人のDIY精神です。自分のため仲間のため、そして地球のために必要なものならば、自らが動き仲間を集め、一歩でもそこに近づいていこうという意思に満ちた行動力の強さでした。

 

WWFが警鐘を鳴らしている「資源的に地球が2つ必要になる」2030 年が目前に迫ってきています。

目先の利益にこだわり過ぎて行き過ぎてしまった現在の消費社会に変化をもたらすマーケティング革新を起こし、持続可能な社会を創造することをミッションとしている私たちエンゲージメント・ファーストも、 意思に満ちた行動力を強めなければなりません。

 

ピーター・ドラッカーは「未来を予測する最良の方法は、未来を創造することだ」と言いました。本書「フューチャーデザイナー・ブック」は まさにその実践手法を解説した一冊です。

その未来は「未来志向」「社会課題解決志向」「デザイン思考」「共創」「好奇心」を持ってデザインされるもので、希望にあふれる社会へ、会社へ、生活へと向かうものです。

未来をデザインする仲間「フューチャーデザイナーズ」が日本に一人でも多くなるよう、私たちはこの日本語版「フューチャーデザイナー・ブック」をお届けすることとしました。また、年に数回、ビスポークのファシリテーションによるワークショップも提供していきます。

「いつか誰かがこんな社会を、会社を、生活を変えてくれるに違いない」 — こんな風にただ待つのが嫌だったら、一緒にフューチャーデザイナーになりましょう。

 

Happy Collaboration!

 

 

あなたにとっての未来とは? - イベントレポート x 2

オリジナルはこちら

 

登壇したイベントのレポート記事2件を、記念がてらブログに書いておきます。

まずはこちら。

 

デンマーク発の「未来を自ら創造する」デザイン思考。ありたい未来に向けた課題解決を

デンマークのデザイン会社Bespokeのニックとアンドレアスを招いたミートアップイベントで、4月に大手町の3×3 Lab Futureで開催しました。

この日の私は自分がデンマークで感じたことを10分くらい話した後は、主に彼らの通訳をやっていました(参考: デンマーク流【望ましい未来をデザインする力】

 


IDEAS FOR GOODさんの写真をお借りしています。

 

以下に、当日ニックたちが話したことの一部と、私のコメントを。

 

「私たちは、未知(Unknown)をナビゲートすることを学んでいかねばなりません」

— 自分が知らないということをまず知ること。あるいは認めること。それが未来を生みだす冒険の準備のスタートです。
予測不能性に溢れた世界の中で、「まだ知らないこと」に対し、強い好奇心と想像力で向き合うこと。それが、暗闇の中にじっと潜んでいる社会的、環境的、経済的な要因を照らし出します。

 

「われわれにとって喫緊の社会的な危機とは、経済や金融などではない。イマジネーションの欠落だ。この現象をあらわす、新しい言葉が必要だろう。」

— イタリア人メディア・アクティヴィスト、フランコ・ベラルディの言葉らしいです。さしづめ、今の私はこれに「宇宙矮小化(ユニバース・ミニマイザー)」とでも名前を付けるかな?

世界を見るのも、複数の視点を知るのも、それまで正解だと思ってきたものが揺さぶられるので嫌だ。それならいっそ広い宇宙を見たくない、一つの世界観で過ごしていたいと志向の現象化なのかも。

イマジネーションを拡げ、さらに先へと進ませるのは「インサイト」です。

 

「新しいものに便乗する人ではなく、流れをつくる人になっていかなくてはならない。」

— Bespokeの『フューチャーデザイナー・ブック – 未来を創る方法論と実践方法 -』に、書かれている言葉を紹介します。

<変化を発見したいのなら、トレンドの兆候として現れたその先を見れなければなりません。何がそのトレンドの出現を可能としているのかを見出すのです。どんな新しい価値観や行動や文化の変化が現れ、それを人びとはどのように体験しているでしょうか? こうした新しい流れを正しく捉えられれば、真の問題を解決し、真のニーズを満たし、有意義な未来をデザインできる可能性が高まります。
可能性を広げるためにも、大胆であることや勇気を持つことを恐れることなく、自分たちの道を見つけ出しましょう。>

 

「あなたにとっての未来とは?」


IDEAS FOR GOODさんの写真をお借りしています。

 

次にこちらを。

イノベーションはデジタルプラットフォームで管理できるのか──可視化・言語化によるアイデア創出の可能性

3月に日本アイデアスケールさんが開催されたイベントで、アイデアスケールの福澤さんがモデレーターで、01Booster CEOの鈴木さんと私がトークをするというものでした。

記事だけでは伝わりづらい部分を、いくつか解説させてもらいます。

 


Biz/Zineさんの写真をお借りしています。

 

「大企業から見ればスタートアップはこだわりの強い偏執狂、スタートアップは大企業を担当者によって言うことがコロコロ変わる多重人格者と思っていてお互いが理解できない」ゆえ「本当の意味で手を組む意味合いが見えるまで、両者が手を組む必要性はない

— 「大企業とスタートアップは、パートナーシップを組むことが正解」という前提を、なんとなくその場に感じてしまったんですよね。なので、議論がスタートする前に、とりあえずその違和感と、それに対して思うところを伝えました。

…本当のところ、こんなことを言うほど私は現場体験があるわけじゃないんですけどね。
でも実際、これまで目にしたり相談されたりした「うまくいっていないケース」にはこの構造が当てはまると思っています。

 

「株主に寄りすぎた企業の形を無理に残すよりも、転生して違う形になる方が正しいと思う」

— 「正しい」という言葉は、今見るとあまり相応しい使い方ではなかった気がします。ここで語られるべきは、正しさよりも好ましさの話、あるいはその正しさは誰にとってのものか、だったかなと。

最近聞いた友人の言葉です。

「うまくいっているときは、自分たちの身の安全など気にせず、ステークホルダーにとっての良いことを追求できる。でもうまくいかなくなりだすと、身の安全を最初に考えるようになって、自分たちの利益や利便を優先しだす。これって、人間の脳の原始的な部分である「爬虫類脳」からきているから、そう簡単には変わらない。」

 

「大企業は常に自社が中心にいるエコシステムを描こうとする。それではただのピラミッド構造と同じ」

— これもちょっと単純化し過ぎで、「常に」じゃなくて「ほとんどの場合」が正確だと思います。そしてこれも、前述の「爬虫類脳」的な話かなって思っています。

で、こういうのって、個人も法人も同じで、周囲にはそのスタンスが漏れ伝わってきます。エコシステムが意味する生態系がやたらと小さい。誰もそういう相手と付き合いたい人なんていないよね。

 

「自分のやり方を確立している一方で、違う意見に価値を見出せるかどうか」

なお、会員向けとなっている2ページ目以降では、「マニフェストを作ってオープンにして共有する。言語化が持つ力のすごさ」という、デンマークで感じてきた話が書かれています。その話については、こちらでも紹介しているので、よかったら併せて読んでみてください: デンマークのオープンソースとマニフェスト

 

最後に、これから開催するイベントを2つ紹介します。

5/28 & 5/29: Futures Design Basic Course(1日コース)

1日完結型のFutures Design Basic Courseを、Bespokeを招いて開催します。私は通訳として参加します。

5/31: Bridge to the Better #1 デンマークに見る「越境力」

デンマーク大使館の在日参事官 マーティン ミケルセンさんと、デンマーク在住のニールセン北村朋子さんのお話を聞いたあと、働き方、学校教育、リカレント教育、ヒュッゲ、福祉、キャリア、恋愛、SDGs などについての学びを深めていきます。こちらも通訳として参加予定です。

 

もしどちらかでお会いできたら嬉しいです。

Happy Collaboration!

タマネギとアボカド – 読書メモ『ハーバードの心理学講義』

オリジナルはこちら

 

自分の興味や方向性をあらわす言葉の一つとして #幸福中心設計 をここ1年ほど使っています。

先日書いた、質問票への答え(脳みそ解体再構築)集というブログエントリーでは、以下のように #幸福中心設計 を説明しました。

 

僕らは幸福を追求する生き物なはずなのに、幸福を追求するのがすごく下手くそなんじゃないかという気がしてます。例えば、快楽とか楽しさも幸福の構成要素だとは思うんだけど、瞬間的なそれを強く求め過ぎてるとむしろ幸福とは程遠い結果につながったりするでしょ?

そういう全体感というか、俯瞰的な見かたで、日常の小さなことから社会の大きなことまでを「どうすればもっと幸福になれるのか」って考え、意識して行動し暮らすことが幸福を中心に据えたデザインなのかなって。

改めてこれを読むと、社会の大きな幸福のことだけ考えて、まるで自分の幸せは追求していないみたい…。

もちろんそんなことはなくて、まずは自分自身の幸福を真っ先に追求しているのですが、私の場合(そしておそらくほとんどの人も同じじゃないかな?)は「他人の幸福をサポートできたときに幸福感を強く感じる」のを自覚しているので、そこを強く意識しています。

また、幸福をデザインするにあたり幸福とは一体なんなのかを常に見直したり考えたりし続ける必要があると思っているので、最近では結構その類の本を読んでいます。

 

と、前置きが長くなりました。

今回書こうと思っているのは最近読んだ『自分の価値を最大にする ハーバードの心理学講義』(ブライアン・R・リトル 著、児島 修 訳)という本を紹介したかったからです。

私は「ハーバードのxxx」だの「スタンフォードのxxx」だのというタイトルの本を見ると、心に一筋冷ややかな風が流れて手にする気が起きないタイプだったのですが、最近になって「日本語タイトルはたいてい日本の出版社や編集者都合でつけられたもので、本の中身や質にはさほど関係がない」ということにようやく頭が回るようになりました。

重要なのは原題ですね。この本は『ME, MYSELF, AND US』です。

 

読み終わって最初に思ったのは、この本は「幸福をデザインしたい」と思っている人には、必ずどこか響くところがあるだろうということでした。ただ、逆に扱っている範囲が幅広いので、「そこはいいや」ってところも人によってはありそう。

すでに出版されてから時間も経っていて多くの書評が出ています。

でも、なぜか「タマネギとアボカド」に関する研究や事例の話はあまり取り上げられていないみたいなので、このエントリーではその部分にフォーカスしてご紹介しますね。

でも、その前に、私なりの言葉でこの本の趣旨をまとめてみます。

 


  • 人は、あらゆるものやできごと、人や概念を、その人なりに評価基準に合わせて解釈している。
  • 評価基準がとても固定的な人もいれば複数のそれを常に変化させ続ける人もいる。
  • 評価基準の基になっているものの1つが、ビッグファイブと呼ばれる個人特性を表す5つの項目(誠実性 | 協調性 | 情緒安定性 | 開放性 | 外向性)のバランスである。
  • ビッグファイブの特性バランスがそのままその人の日々の行動として現れるわけではない。
  • 人々の行動を動機付ける大きな要素は、遺伝(生まれ持った性質)的動機、社会的(社会や文化の規範に合わせようとする)動機、個人的(生活の中で追求している計画や目標と深く関連するその人固有の)動機の3つがある。
  • 表出する行動が常に一貫している人と変化する人がいて、それはその人の状況に対するスタンスや行動の取り方による。
  • そのスタンスや行動の取り方を測るのがセルフモニタリング(SM)テストで、スコアが高い「タマネギ型」の人は、例え特性的には内向的であっても必要とあらばパーティーで積極的に振舞うことができる。
  • SMテストのスコアが低い「アボカド型」は、ステーキを一口食べる前から塩を一振りする。
  • タマネギ型は人からどう見られているかを気にし、状況に合わせて振る舞うことができる。アボカド型はどう見られているかを気にしないので自分の価値観に従う。
  • パーティーに友人を誘う際、タマネギ型は「集まりに相応しい場の雰囲気に合う友人」を誘い、アボカド型は「場の雰囲気に関係なく自分の気の合う人」を誘う。
  • 自分のSM度とその傾向を知り、それを自分の価値観とバランスさせることで自身の幸福感を高めることができる。
  • コントロール(自己効力感)、コミットメント(関係への積極性)、チャレンジ(変化受容)がパーソナリティの中心にあると、幸福度を高められる。
  • 人は環境に大きな影響を受けるので、自身の「環境気質」を理解した上で、住環境や生活環境を選んだ方が幸福度を高められる。
  • また、自身の環境気質の理解により、ソーシャルウェブとの関わり方やそこでの振る舞いをよりポジティブなものにできる。
  • 生活に意義をもたらす「重要性」「自分の価値観との一致」「自己表現できる」の高いコア・パーソナル・プロジェクト(CPP)を持つことで、幸福感を高められる。
  • 人はあらゆる人と似ていると同時に誰にも似ていない。多面的な自分を受け入れ手を取り合って歩んでいこう。

 

箇条書きで16個…もっと絞りこもうと思ってたんですが、絞り切れませんでした。

そして中盤の太字にしたところが「タマネギとアボカド」に関係する部分です。

皆さんはセルフモニタリング(SM)テストって聞いたことがありましたか? ビッグファイブ特性や環境気質は他の本などで読んだことがありましたが、私はこの本で初めてSMテストのことを知りました。

 

そして、このテストをやって結構ビックリしました。

18問にマルバツで答えて、最後に答え合わせをするタイプのテストです。全部で5分もあればできるものなので、ぜひ皆さんもやってみてください。

 

  1. 他の人の行動を真似ることは苦手だと思う。
  2. 人の集まる場で、他の人を喜ばせるようなことをしたり、言ったりしようと思わない。
  3. 確信を持っていることしか主張しない。
  4. あまり詳しく知らないことでも、とりあえず話をすることができる。
  5. 自分を印象づけたり、その場を盛り上げようとして演技しているところがあると思う。
  6. たぶん、いい役者になれるだろうと思う。
  7. グループの中では、めったに注目の的にならない。
  8. 場面や相手が異なれば、まったくの別人のように振る舞うことがよくある。
  9. 他の人から好意を持たれるようにすることが、それほどうまいとは思わない。
  10. 自分自身は「いつも見た目どおりの人間」ではないと思う。
  11. 他の人を喜ばせたり気に入ってもらうために、自分の意見ややり方を変えたりしない。
  12. 自分には、人を楽しませようとするところがあると思う。
  13. これまでに、ジェスチャーや即興の芝居のようなゲームで、うまくできたことがない。
  14. いろいろな人や場面に合わせて、自分の行動を変えていくのは苦手である。
  15. 集まりでは、冗談を言ったり話を進めたりするのを人にまかせておく方だ。
  16. 人前ではきまりが悪くて思うように自分を出すことができない。
  17. いざとなれば、相手の目を見ながらまじめな顔をして嘘をつける。
  18. 本当は嫌いな相手でも、表面的にはうまく付き合っていけると思う。

 

採点方法: 以下の◯×と、自分の答えが一致するものに◎をつけてください。
最後に◎の数を合計したものが、あなたのセルフモニタリング尺度のスコアになります。

1× 2× 3× 4◯ 5◯ 6◯ 7× 8◯ 9× 10◯ 11× 12◯ 13× 14× 15× 16× 17◯ 18◯

 

 

いかがでしたか?

すでに想像されていると思いますが、タマネギは『幾層にも皮が重なっているが、めくって行っても中心となる核のようなものはない』、アボカドは『中に硬い核のようなものがある』というところからきている比喩です。

私がビックリしたのは自分のタマネギっぷりでした。やる前からタマネギ型だろうなとは想像していましたが、なんとなんと17/18であてはまりました。

 

唯一あてはまらなかったものも、ちょっと悩んで違う方に答えたものだったので、いわば17.5/18って感じです。

…まあでも、核もあると思ってるんですけどね。だから「ものすごく小さな核を持ったアボカド」じゃないかな、おれ。

 

 

この本の一つの特徴は、このSMテストをはじめビッグファイブ特性テスト、ローカス・オブ・コントロールテスト、ストレス耐性やクリエイティビティチェックなど、多数の「科学的(統計的)パーソナリティ・チェック」を解説しながらも、その度に慎重に「故に私はこういう人間である、以上。と受け取るべきではない」と強調していることです。

最後に、それを表現した文を3つ引用します。

 

■ 実際には、人生ではいつも普段通りの自分でいられるわけではありません。そのときに力を発揮するのがさきほどご紹介した「自由特性」と呼ばれる「変化できる性格」です。もとの性格と違う自分を演じることは、自分を偽るというようなことではなく、私たちの可能性を広げてくれる、意義のあることなのです。

 

■ 私たちがキャラクターの外に出るのは、「大切にしているもの」があるからです。人間は、生まれ持った性格に従って行動するときに力を発揮することもありますが、愛情やプロ意識から普段とは違う行動をとることで、個人や職業人としての責任を果たそうとするのです。

 

■ 注目するテーマは、「コア・プロジェクトの持続的な追求が、幸福度を高める」というものです。持続的に取り組んできたプロジェクトを理解することは、これまでの人生の歩みを振り返り、自分自身を理解することと、将来の新たな可能性についての視座を得ることの両方に役立ちます。

 

Happy Collaboration!

 

読書メモ『デンマークの親は子どもを褒めない』…実際は褒めます

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以前『俺のクレド』にも書きましたが、私は「みんなが自分と周囲の個性を大切に尊重しながら、幸福とつながりを感じながら生きる」世界が身の周りに拡がって欲しいと願っています。

でも実際には、「自分らしさや自分の感情を上手に隠して生きる」ことがますます拡がっていて、むしろそれが上手になることが、上手く生きるために必要と感じる人が増えているような…。

そんな社会や生活が良いものだとは、私には何をどうしても思えないのです。

 

一方で、理想的な生きかたを実現しているように私には見えるのが、デンマーク社会です。

視察旅行以来、デンマーク関連の本を読んだり、デンマークで暮らしている人や所縁の深い方たちとの交流を通じ、ずっと「どうしたら自分と周囲の個性を大切に尊重し、幸福を感じながら生きることが当たり前のことにできるのか?」と考え続けていました。

 

 

デンマークの親は子どもを褒めない』という本は、そんな疑問に1つの答えを与えてくれるものでした。

 

価値観が作られ積み上げられていく幼少期に、家でも学校でも一貫して「個性の尊重と幸せに生きる術こそが重要だ」と教わること。

教える大人たちが、自らがそれを実践し続けること。

それにより、世代を超えて価値観がつながり、社会のスタンダードとなっていくこと。

 


 

ところで、この本のタイトルの「子どもを褒めない」は、真意を伝えることに失敗しています。

 

「え、どういうこと?」と興味を持たせるには役立っているのでしょうが、どちらかと言えばこのタイトルゆえに手に取らせなくしてしまっていそうです。

本の本当の中身を説明しているのは、サブタイトルの『世界一幸せな国が実践する「折れない」子どもの育て方』であり、『The Danish Way Of Parenting – What the Happiest People in the World Know About Raising Confident, Capable Kids』という英語の原題です(「デンマーク流親業 – 世界一幸せな人たちが知っている自信と能力に満ちた子どもの育て方」が1番ストレートな訳ですかね)。

 

褒めます。褒めるんですよ!

ただその褒め方が、成長マインドセットgrowth mindset)を育む褒め方にあらゆる面で徹底しているんです。

具体例はこの本に譲りますが、「努力するプロセス」や「スキルを習得しようという意欲」に焦点を当てて褒め、硬直マインドセット(fixed mindset)と呼ばれる「人からの評価や生まれつきの能力に捉われる」ことがないような褒め方をしているんです(成長/硬直マインドセット自体をもう少し知りたい方には、こちらのページをオススメします)。

褒め方の他にも特徴的なものがいくつかあるのですが、この本ではそれをPARENTという5つの頭文字で紹介しています。

 

P: Play(遊ぶ) – 自由遊びが、適応力とレジリエンス(折れない心)を持つ「未来の幸せな大人」を育む。

A: Authenticity(ありのままを見る) – 正直な人は自尊心が強い。子どもの褒め方を工夫すれば、「硬直マインドセット」ではなく「成長マインドセット」が育まれ、キレない子どもに育つ。

R: Reframing(視点を変える) – 物の見方を変えると、親子共に人生がいい方向に変わる。

E: Empathy(共感力) – 「共感力」を理解し、実践し、教えることが、幸せな親子になるための必須条件。

N: No Ultimatums(叩かない) – 自分の正しさを主張する「権力争い」をやめて「民主型の子育てスタイル」にすると、信頼関係とレジリエンスが育まれ、子どもがもっと幸せになる。

T: Togetherness (仲間とつながる) – 幸せに生きるためには、仲間との強いつながりを持つことが、何よりも大切な鍵。「ヒュゲ(居心地のいい)」な環境づくりが、親から子へ贈る最強のプレゼント。

 

先に書いたのは、「A: Authenticity(ありのままを見る)」の部分ですね。

各章それぞれに印象的なポイントがあるのですが、ここでは「P: Play(遊ぶ)」「E: Empathy(共感力)」「No Ultimatums(叩かない)」から一部を引用してご紹介します。

 

「P: Play(遊ぶ)」

子どもは鉄棒にぶら下がったり、木登りをしたり、高い所から飛び降りることで、危険な状況を試しているのだ。自分にとってのほどよい度合いや対処の方法は、本人にしかわからない。自分が扱える量のストレスを自分でコントロールできていると感じることが重要であり、この経験が、自分が人生の舵を握っているという感覚につながるのだ(…)他人と一緒に遊ぶと、衝突もあれば協力する場面も出てくる。遊びを続けるためには、恐れや怒りなどさまざまな感情に対処する術を学ばなければならない。

 

「E: Empathy(共感力)」

本心を打ち明けたり、弱みを見せたりすることを恐れるのは、批判や拒絶をされたくないから。この恐怖感が、多くの人間関係をうわべだけのものに制限してしまう(…)一方、バルネラビリティの対極に位置するのが「他人を見下す」ということ(…)批判ではなくサポートが感じられる社会的つながりを持ったほうが、はるかに清々しい気分になれるのをご存知だろうか。
他人を見下し、常に人より上を目指すことの問題点は、「弱い自分」が浮上してきたときに、強い不快感や不安感を覚えることだ。

 

「No Ultimatums(叩かない)」

デンマークの学校では子どもに民主性を教える一環として、毎年生徒たちが教師と一緒にルール作りをする。年度の始めに教師と生徒が、良いクラスとは何か、クラスを良くするために何を重んじ、どう行動すべきかについて、長時間意見を交換するのだ(…)デンマークの教師は、「ディフランシェーア(differentiere「区別する」の意味)」という指導要領を学んでいる(…)教師は各々の生徒と一緒に目標プランを立て、年に二度、個々の成長をフォローアップする。フォローの対象は、成績、性格、人間関係など、生徒によって様々だ。

 

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私には子どもがいませんし、どちらかと言えば苦手です。そして、これまで幼児教育や学校教育について学んだこともありません。

でも、理想の社会を本当に求めるなら、そこは避けてはいられないなと強く感じました。

具体的なアイデアやアクションはまだ何もないけれど、好奇心や興味を教育にも持ち続けていこうと思っています。

 

この本からもう1つ私が得たものがあります。

レジリエンス(折れない心)のある幸福な子ども」を育てるためのさまざまなアドバイスは、私自身を「レジリエンスのある幸福な大人」に育てるためのものでもあるということです。

 

タイトルで誤解され、子育て中の親や教育関係者に手に取られないのはもったいなさ過ぎる一冊です。

さらには、個性を尊重する生きかたについて考えている大人も手にすべき一冊だと思います。

 

Happy Collaboration!