多様性という名のオブラート
ここ数年、「多様性が大切」という言葉を頻繁に耳にするようになりました。特にここ1,2年は顕著な気がします。
- 多様性こそ最大の環境適応
- 多様性はイノベーションを産み出しやすい環境
でも、実際には多様性の真っ只中にいても、それを認識していないのか認めたくないのか、「そういうものなのだから(グズグズ言うな)」という押し付けをあちこちで目にするのが日常です。
…って、これじゃただの愚痴にしかなってないや…
言いたかったのは、異質や異端を認識している人はそれを無理に引っ込める必要はないということです。
慣習や踏襲が疑問に思えたら、それを突き詰めてみませんか。
「多様性はすばらしい」という世の中なのですから、それを発揮しないのはある意味「できる貢献」をしてないようなものじゃないでしょうか。
異質や異端はおそらく誰の中にもあるんだと思います。おそらく、長らく抑え込んでいたうちに忘れてしまっただけで。
思い出せないのに無理やり異端児になる必要はないと思いますが、「異質性は捨てさるべき」や「異端児でいては叩かれる」という発想が自分でも気づいていないうちに染み付いていないか? は、ときどきチェックしたほうが良いですよね。
なんだか良く分からない文章になっているかもしれませんが、今回のエントリーは「自分の中の異質を抑えているんじゃないか? それは自分のためにも周りのためにもならないぞ!」という自戒でした。
さあ、本当の多様性社会に向かってドンドン異質性を発揮するぞ~! 異端児バンザ~イ!
Happy Collaboration!