今も余震が続く大震災の後、ソーシャル・メディアが「役に立った/立たなかった」という話や、「情報伝達に貢献した/デマの伝播を助長した」という話をあちこちで目や耳にしています。
(一部「
会員のみ
」となっ
ています
が、この
あたりの
話をアジ
ャイルメ
ディア・
ネットワ
ーク代表
の
徳力さんがまとめられています)
このエントリーでは、情報やアイデアに対するスタンスについて、Webやソーシャル・メディアだけに絞らずにもう少し広範囲で、そして逆に、社会的な問題というよりはもう少し狭い個人、あるいは企業内の個人として、書いてみたいと思います。
なお、今
回もこの
エントリ
ーも、コ
ラボレー
ションや
Sソーシ
ャル・メ
ディアに
関するオ
ンライン
/オフラ
インでの
たくさん
のセッシ
ョンやデ
ィスカッ
ションを
通じてま
とまって
きた考え
です。
皆さんと、そしてこうした機会をいただけることに感謝!
■「情報とはクローズなもの」を疑えおそらく
は過半数
を大きく
上回る企
業人が、
「情報は
クローズ
なものと
して扱う
べき」と
いう発想
をベース
にスター
トしてい
ると感じ
ています
。
と言うか
、おそら
く意識す
ることも
なく「情
報はクロ
ーズであ
るべき」
という認
識で物事
を考えて
いる、と
いう説明
のほうが
分かりや
すいかも
知れませ
ん(もち
ろん、「
そんなこ
とはない
」という
人もたく
さんいま
すが)。
例えば、何かみんなにとって役立つかも知れない情報を入手した時も、ごく限られた少人数にだけ伝えるだけだったり。
または「私が言わなくても誰か言うだろう。誰も言わないならそれだけの価値がないということだろう」と判断して、口をつぐんでしまったり。
この「情報はクローズなものとして扱うべき」って考え方、本当に正しいのでしょうか? そこをスタート地点として考えた方がいいのでしょうか?
■そこにリスクがある限り?!
「情報はクローズなものとして扱うべき」と考える人は、少々デフォルメすると、以下のような(意識的であれ無意識的であれ)思考回路が働いているのではないか? と想像(妄想?!)しています。
この情報もクローズなものだな。…でもちょっとはオープンにしてもいいのかも。ハテ、オープンにすると何が起こるだろ? あんなことやこんなことが起こる可能性があるな。それが起こると、もしかしたら次にこんなことが起こる可能性も…。そうすると、ひょっとしてひょっとすると、こんな大変なことが起こる可能性があるかも…。
この回路をネガティブなことに当てはめると、どこまでもネガティブに進んでいきますよね。可能性に可能性をドンドンと重ねていけば、ある意味あらゆる悲劇は起こり得ます。
なんと言
うか、人
にも拠る
し、さら
にその人
のその時
の精神状
態にも拠
るとは思
いますが
、「そこ
にわずか
でもリス
クがある
限り、一
歩たりと
も近づき
たくない
」という
考え方が
染み込ん
でいる人
が多い気
がするん
です。
大げさか
もしれな
いけど、
これは日
本が『ゼ
ロリスク
信仰社会
』と表現
されるこ
とがある
のにも関
係がある
かも…。
■リスクとチャンスこんな感
じで、情
報を出す
ことへの
リスクと
、それに
対する恐
怖を(無
意識に?
)感じる
人が多い
のが実情
かなと思
うのです
が、一方
で、情報
を出さな
いことに
リスクを
感じてい
る人も増
えている
んじゃな
いでしょ
うか。
ここでは
、最初に
書いたよ
うに大震
災に関す
るものに
は触れな
いでおき
ますが、
それでも
例えば、
「"知っ
ているの
に教えて
くれなか
った"と
いう批判
や恨みを
買ったり
する」と
いうのは
誰でも思
いあたる
節があり
ますよね
。
そして、先日のエントリー『
公と私のあり方 - インテグリティーとソーシャル・メディア』に書い
た、「匿
名での情
報発信が
"犯人探
し~晒し
"につな
がりやす
い」とい
うのも一
つの「出
さないリ
スク」と
言えるか
と思いま
す。
もう一つ
言いたい
のは、情
報を出す
ことがチ
ャンスに
つながっ
たり、チ
ャンスを
生み出す
きっかけ
になるこ
とを感じ
ている人
も、特に
若い世代
を中心に
増えてい
るんじゃ
ないだろ
うかとい
うことで
す。
「自分に良く似た(と思っていた)人」が、ある情報発信や意見の発信をきっかけに、大きなチャンスを手に入れる
ある程度
人間関係
が固定さ
れて新た
な出会い
の少ない
人よりも
、積極的
に人付き
合いの範
囲や幅を
広げよう
としてい
る若い世
代の身の
周りで、
こんな出
来事が日
常的に起
こってい
て、彼ら
はそれを
頻繁に目
にしてい
るのがそ
の理由じ
ゃないで
しょうか
。
昔だったら「そんな幸運は起こらないよ」と一笑されていたことが、現実に目の前で起こる。
それは認識も変わりますよね。
私自身、
(年齢的
には全然
若くない
けど)情
報やアイ
デアをオ
ープンに
すること
で、情報
をオープ
ンにする
ことのメ
リットを
いろいろ
と受けて
います。
特に、新
たな人と
人の結び
つきや、
人とアイ
デア、ア
イデアと
アイデア
のつなが
りが発生
して、よ
り大きな
価値に結
びつくこ
とが多い
と、経験
的に感じ
ています
。
■「ワクワクする世界」は好きですか? 「居心地よい世界」は?ここで、
情報に対
する考え
方をガラ
っと変え
て、「情
報はオー
プンなも
の」をベ
ースに思
考回路を
働かすと
どうなる
でしょう
か。
この情報をオープンにするとどうなるだろう。んー、この部分はいろいろなリスクがありそうだから、そこだけはクローズにしようかな。でも、「いろいろなリスク」って具体的にどんなことだろう? それが現実的に起きる可能性はどれくらいあって、それが起こった時の具体的な問題点はなんだろう?
この回路
で考える
と、実際
のリスク
がどの程
度のもの
かや、「
本当にク
ローズと
するべき
部分」と
いうのを
自分なり
に判断で
きるよう
になりま
す。
また、ク
ローズと
すること
に決めた
ものに対
して質問
や意見を
求められ
た場合に
も「その
部分は答
えられな
い。なぜ
ならxx
xxxx
だから」
という形
で明確に
答えるこ
とができ
ます。
この「x
xxxだ
から答え
られませ
ん」とい
う回答で
すが、自
分が質問
する立場
に回って
考えると
、相手に
対して説
得力がす
ごくある
し、共感
を得られ
るものだ
と思いま
せんか?
私はこうした明確な「それは答えられない」ということを言ってくれる人に対して誠実さを感じます。
さらに言えば、その回答に達したプロセスも伝えてくれる人には信頼を置くことができると感じます。
「情報は
オープン
なもの」
ベース思
考に変え
るだけで
、これま
でよりも
ちょっと
広く、ち
ょっと深
く、情報
やアイデ
アを発信
すること
ができる
と思うん
です。
その変化
は、時に
痛い思い
につなが
ることも
あるかも
しれませ
ん…、で
も同時に
「新たな
つながり
」をもた
らせてく
れるはず
です。
そしてそ
のつなが
りは、き
っとあな
たにとっ
ての「ワ
クワクす
る世界」
や「居心
地よい世
界」を広
げてくれ
るものだ
と思いま
す!
思ったよ
り熱が入
ってしま
った。。
。最後に
。
もちろん
、情報に
はさまざ
まなタイ
プのもの
があって
、「一括
りにすべ
てを論じ
る」のに
は無理が
あると私
も思って
います。
それでも
、基本ス
タンスと
して「情
報はオー
プンなも
の」ベー
スでの考
え方を持
っている
かいない
かで、結
果には大
きな差が
生まれて
くると私
は信じて
います。
リスクを慎重に計るのは大切。
でも、ひ
ょっとし
たら、実
態も脅威
もない自
分自身の
影に怯え
ているだ
けかもし
れません
よ?!