全編参加
したかっ
たですが
、ちょっ
と用事も
あり後半
の「企業
の中のL
GBT」
という分
科会だけ
の参加と
なってし
まったの
ですが、
いろいろ
と考えを
深めさせ
てもらえ
る良い機
会でした
。
「企業の
中のLG
BT」セ
ッション
はコチ株
式会社 代表の
東田 真樹さんをモデレ
ーターに
、ゴール
ドマンサ
ックス証
券と日本
IBMか
らパネリ
ストの方
が出席さ
れていま
した。
セッショ
ン中、本
当は質問
などもし
たかった
のですが
、前のセ
ッション
に参加で
きていな
かったの
で、「会
場の人に
とっては
同じ話し
の繰り返
しになっ
てしまう
かも?」
と思い自
重しまし
た。
でも、い
ろんな思
いが頭の
中に残っ
たままモ
ヤモヤ~
ってして
るところ
があるの
で、ちょ
っとここ
でアウト
プットし
ておきた
いと思い
ます。
セッションで主に会話されたのは、セッションタイトルが現している通り、「企業内でLGBTの人たちの扱いはどうなっているか」「それがどう変わってきたのか」「どう変えていくか」といった話しだったのですが、ここで書くのは「何が語られていたか」ではなくて、「それを聞きながら私Pachiの頭の中で渦巻いていたこと」です。
パネリストの意見ではないのでお間違えなく。
■サポーターはきっと増えている
自分の同
僚や仲間
でLGB
Tの人た
ちがいて
、その人
たちが悩
んでいた
りサポー
トが欲し
いと思っ
ているな
ら、喜ん
でお手伝
いさせて
もらいた
いと思っ
ている人
は結構た
くさんい
ると思う
。
「根拠は
?」と聞
かれると
ツラくて
、少なく
とも自分
の周りに
は支援し
たいと思
っている
人が増え
ているこ
とを感じ
るから、
としか言
えないの
だけれど
。
でも、僕らは誰がサポートを求めているのかがわからない。
何をして欲しいのか、どんなサポートが必要とされているのかがわからない。
どんな形での支援が求められているのかがわからない。
そもそもサポートして欲しいと思っているのかどうかがわからない。
単なるおせっかいになってしまうのかも? という気持ちもある。
だから、
やっぱり
困ってい
るなら、
サポート
が必要な
ら「ちょ
っと手伝
ってくれ
ない?」
って声を
かけて欲
しい。
LGBTの人たち
がそうい
う声をか
けづらい
ってのも
分かるけ
ど、ニー
ズがあり
、それに
応えられ
る状況(
環境・人
)もある
のに、ど
ちらもア
プローチ
しないが
ためにそ
のままに
なってし
まうなん
て、あま
りに悲し
い…。
■カミングアウトの必要性「
そもそも社内でカミングアウトする必要性はあるのか」――こ
れは個々
人の環境
や状況の
捉え方に
よると思
う。
もし、本
人が「隠
している
ことがツ
ライ」と
か「隠し
ているこ
とで困る
ことがあ
る」なら
ば、カミ
ングアウ
トした方
がイイと
思うけど
、そうじ
ゃなけれ
ば別段必
要性はな
いと思う
。
本当にカ
ミングア
ウトする
ことで「
仕事が上
手くいか
なくなる
」のだろ
うか。「
職場の人
間関係が
ギクシャ
クする」
のだろう
か?
これは暴
論かもし
れないし
、「人と
動物を同
じレベル
で語るな
!」とお
叱りを受
けるかも
しれない
けど、「
私は猫が
好きな人
としか仕
事はしま
せん」と
か「この
プロジェ
クトは犬
好きだけ
でチーム
を作る」
とか、そ
んなこと
ってあり
得ないで
すよね。
■カミングアウトのリスクとカミングアウトしないことのリスク必要性の
話しの繰
り返しに
なる部分
もあるけ
ど、まず
は本人が
カミング
アウトに
対して必
要性を感
じるかど
うかがベ
ースであ
ることは
間違いな
いと思い
ます。
その上で
、「カミ
ングアウ
トのリス
ク」ばか
りが語ら
れている
ような気
もしてい
ます。
「カミン
グアウト
しないこ
とのリス
ク」って
結構大き
なものだ
と思うの
ですが…
。
関係性が高いと思うので、以前、『
公と私のあり方 - インテグリティーとソーシャル・メディア』という
エントリ
ーで書い
た一部を
コピペし
ます。
… 2つの顔、そして現実にはほとんどの場合、2つではすまない3つ目、4つ目の顔を持っていると思います。でも、それぞれの顔が乖離すればするほど、その違いを感じた相手は、自分の言葉に対して「これはどの顔で言っているのだろう?」と受け止めるようになり、説得力もなくなっていきます。
それよりは、できるだけ同じ顔で過ごしたほうが、結果的に相手からの信用も得られるようになるとは思いませんか?
…
…公と私の二つの顔が近ければ近いほど、使い分けを考えなければいけない機会は減ります。逆に言うと、使い分けをしなければいけない機会が多いほど、そこで「ミスする」可能性は高まります。顔の数が多ければ多いほど、ポリシーの確立や運用は難しくなります。不整合が発生しやすくなり、その人の言葉に対する信頼性や一貫性への疑惑が高まります。
このエン
トリーで
は、主に
ソーシャ
ル・メデ
ィア上で
の自分と
オフライ
ンの場で
の自分の
乖離、個
の使い分
けにを中
心に書き
ましたが
、ソーシ
ャル・メ
ディアか
ら離れて
「社内と
社外」と
しても、
同じ事が
言えると
思ってい
ます。
- 隠すためにウソをついていることが、自分自身を傷つけていないか
- 複数の顔を使い分けていたことがわかると、「ある顔」で築きあげてきた信用や信頼は崩れさる
- 最初からオープンにしているケースと比べて、隠していた事が表に出たときには人は必要以上にセンセーショナルに扱わ、いわゆる「晒し」的なことが起きやすい
■なんだかちょっとまとまりがないままの気もしますが、最後に一番言いたかったことを。もし、隠
している
がために
自分自身
を好きで
いられな
くなりそ
うなので
あれば、
それはカ
ミングア
ウトの必
要性があ
るという
ことなん
じゃない
だろうか
。
「好きな
自分」に
なれるよ
うに、「
好きな自
分」でい
られるよ
うに。
ひとまず
、今、自
分が思っ
ているこ
とをまと
めさせて
もらいま
した。
こうして
ブログに
書くだけ
でも、多
少はLG
BTの方
たちのお
手伝いに
なってい
ることを
願いつつ
。
Happy Collaboration!