コラボレーションと毛繕い
オリジナルはこちら(2013/05/14)
唐突ですが、皆さんは「コラボレーション」という言葉に「個」をイメージしますか? 「組織」をイメージしますか?
世間一般では自発的にコラボレーションが始まるケースが多いですが、企業や学校などの団体内においては、本人の意志にかかわらず「コラボレーションありき」のケースもありますよね。
今回、なんら目新しいことはないのですが、ちょっと自分の中のコミュニケーションとコラボレーションを改めて整理してみたいと思います。
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コラボレーションにもいろいろなレベルがありますよね。
以前、『コラボレーションと一言で言いますが…』という記事で、私の思うコラボレーションのレベル感というか、「共同と協同と共働と協働のニュアンスの差みたいな話しを書きました。
かなり主観的&感覚的ですが、一言でまとめると以下のような段階~発展があると思っています。
- 共同: 場所や時間の偶発的な共有
- 協同: 積極的に関わりあいながらの行動
- 共働: 共に影響を与えあいながらの行動
- 協働: 境界を溶かしつつ新しいものを生みだす行動
これをさらに推し進めて、「コミュニケーションの質とコラボレーションの質の関係」を4枚の連続した絵で表してみました。
◆毛繕いだけのコミュニケーションの間柄では、コラボレーションの質は低い
毛繕いのコミュニケーションとは、サル山をはじめとした類人猿などのコミュニティーで見かけるお互いが毛繕いをしてあげ合う、あのイメージです。
それ自体が大きな意味を持っているわけではないですが、繰り返し行われる中で、お互いへの関心が深まったり、警戒心が解かれていくコミュニケーションの根幹の部分です。
◆共通理解が深まるにつれ、コラボレーションの質もじょじょに高くなる
先ほどのレベル感で言えば、「協同から共働」へというところかと思います。
相手の表面的な行動だけではなく、その裏側にある判断基準などへの理解が深まることで、「狙い」も共有されていきます。
なお、「毛繕い」のコミュニケーションが無くなったり不要になるわけではありません。
◆深い共感がベースになると、コラボレーションの質が上がるだけではなく、別のコラボレーションをも誘発する
共通理解が進んでいくと、共感へと発展していくことが多いです。そして、「共働から協働」へと、より積極的にコラボレーションの深さや範囲を拡げたいという意思が強くなっていきます。
なお、必ずしも共感に共通理解が必要というわけではありませんし、理解はできないけど共感はできるというケースもあります。
ただ、共通理解がベースにある共感の方が、強く長期に渡るものが多いと思います。
◆こうなったらもう無敵!
説明いらないですよね?
鬼に金棒。ミックにキース。マクラーレンにホンダ。ケンタッキーにビール。アンリにベルカンプ。 です。
というわけで、ときどき、コミュニケーションも信頼関係もない中でコラボレーションに取り組み、「失敗した!」と大騒ぎする方がいますが、あたりまえかな、と。
お互いの「毛繕い」がうまく行くように、自分の痒いところや気持ちの良いところがどこなのかを普段から伝えて行くことが大切ですね。
そして、理解や共感が一方向にならないように、コラボレーションを積み重ねられるように、自身の感情を適切に表現していくことが本当に大切だと思います。
どんな組織も、個人の重なりあいですから。
Happy Collaboration!