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Pachi's Blog Annex ~自薦&自選よりぬき~

『Pachi -the Collaboration Energizer-』の中から自分でも気に入っているエントリーを厳選してお届けします♪

歴史が嫌いなわけじゃなくてね

オリジナルはこちら(2013/09/02)

 

「パチさんは、歴史が嫌いなんですよね。"過去になんか興味ないぜぃ!" って感じなんでしょ?」と、ときどき言われます。

まあ、これまで何度かそう言いきったことがあるので、無理もないですね(というより、言い切ったのだから当たり前か…)。

 

でも実は、「歴史嫌い」と言われると「ちょっと違う…」と感じていたんです。なんか、ニュアンスが違う。

ただ、何に違和感を感じているのかが自分でもわからずにいたんですが、先日「個人的には、フロー型のソーシャルメディアの方がストック型より居心地が良い」という話をしているときに、「あっそうか!」と気がつきました。

 

今回はそんな話を書きます。

 


 

■「歴史は繰り返す」ってしたり顔が嫌い

■「信奉され絶対視されてる歴史」が嫌い

■「永遠に増え続けるものを背負わされる」のが嫌い

■本当に過去から学べるのか?

 

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■「歴史は繰り返す」ってしたり顔が嫌い

 

「歴史は繰り返す」って耳心地が良くて、なんかそれだけで賢くなったような気がするいい言葉ですね。

実際、多くのことが歴史を振り返れば自明だったり、先人によりすでに証明されていたりします。

でもね、なんだかそれを押し付けられてる気分がする言葉でもあるんだよね。

 

歴史は繰り返す? まあ同じことが見つかるまで過去に遡れば、そりゃ同じような事もあったでしょう。

気のせいかもしれませんけどね、なんだか多くの場面で、新しい試みや前向きさを挫いたり、後から「ほれ見たことか」って他人面するのに使われている気がしませんか?

 

気のせい、なのかなぁ。

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■「信奉され絶対視されてる歴史」が嫌い

 

歴史って、なんらかの解釈のもとに成り立っていますよね。そのほとんどが。

だから、ある新しい事実や解釈が一つ出てくるだけで、それまで絶対的に「正」と捉えられていた出来事が「負」へと変わることも珍しくないですよね。

 

解釈ってそれぐらい危ういものだと思うし、さらに、人ってついつい自分に都合の良い解釈をしてしまいがちですよね。

よっぽど意識していないと、都合の悪いことって目に入ってこないし。まあこればっかりはしょうがないのかも。

 

それでも、しょうがないとは言え、「歴史的事実だから」とか「絶対正しいから」なんて利用しているものの中に、独善的な要素が潜んでいる可能性が大いにあることを忘れちゃいけないな、と思うのです。

例えば、大昔の戦争一つとっても、歴史家や社会学者ごとに捉え方が違う。

真実は変わっていないのに、新しい手紙が一枚発見されれば、解釈はガラりと変わり歴史的な意味や位置づけも変化する。

 

「これはまぎれないも事実だ!」って印籠のように押し付けるのも押し付けられるのも…。



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■「永遠に増え続けるものを背負わされる」のが嫌い

 

歴史って、今この瞬間にも増加し続けているわけですよね。そして決して減らない。

その上、さっき書いたように、解釈の変化によってぐちゃぐちゃと変わり続けてるわけですよね。

「増え続ける上に変化し続ける」――私の手にはとても負えません!

 

もう、そんなもん捉えきれないって。

自分自身の過去から現在への積み重ねですら、意識的か無意識的か分からないけど消えていたり上書きされていたりとうろ覚えなのに。(そして、うろ覚えで良いと思っているのに)

思ったこととか言っちゃったこととかやっちまったこととか、それはもう抱え続けて生きてくしかないんだから。意識しようとしまいと。

わざわざ強く「背負い続けるのだ」なんて考えなくても、自分自身として生きていくしかないでしょう。

 

「今この時」を前に向かっていても、足元にはたくさんの歴史が絡まりついている。

足元がそうなのだから、せめて視線は今にフォーカスして、ピントを合わせていたい。ほっといても歴史は背景に写りこんでくる。



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■本当に過去から学べるの?

 

他の時代を生きたわけではないけれど、社会の変化スピードは加速し続けています。

IT革命が世界を別のものに変えていくスピードは、印刷や鉄道などの大革命がもたらした変化のスピードよりも、はるかに速いのは間違いなさそうです。

 

誤解を恐れずに言います。

これほど、日々新しいものが生まれ新しいことが起き続けている中で、本当に歴史から学ぶのは賢い学び方なのでしょうか?

 

もちろん、学ぶべきものもたくさんあるのは間違いないと思います。

ただ、歴史の中には、もはや腐って使えないような学びも一杯混ざっていそうです。

とりわけ、人間が物理的にも精神的にも「場所」に縛られて生きるしかなかった頃を前提にしたモノや、言葉による意志伝達が生まれる前のモノとか、その中に今につながる学びがどれくらいの割合であるのだろう?

 

思考停止し、ただただ歴史信奉を謳う声を私は信用しません。

「歴史から学べ」という言葉に「先人である俺を敬え」の腐臭が漂ったら、私は暴れます。

 

歴史って、「今この時」から学ぼうとする者を手助けをする補助教材なんじゃないかな。バイバイ、ノスタルジー。

 

なんだかすっかり偉そうになっちゃった。気を悪くさせたらゴメン。イメージ
Happy Collaboration!