Pachi's Blog Annex ~自薦&自選よりぬき~

『Pachi -the Collaboration Energizer-』の中から自分でも気に入っているエントリーを厳選してお届けします♪

『ソーシャルマシン』を読んでみた - 物体とは硬い殻をかぶったデータ

オリジナルはこちら(2014/7/11)

 

今後も「自分には関係ない」と言い続けることもできるだろう

ただ、それは、たくさんのことを「見送る」生き方を選んだことを意味するのではないだろうか。

もうすでに、そうとう見送る生き方をしてきたんじゃないか。まだこれからもそれを続けるつもりなのか…

 

イメージ一体何の話だ、と思われることでしょう。これ、今週夢中になって読んだピーター・センメルハック 著、小林 啓倫 訳のソーシャルマシン M2MからIoTへ つながりが生む新ビジネ』(角川EPUB選書)への感想です。

まだ、十分に理解していないことは百も承知しているけど、これまでのように「IoT(Internet of Things)」を「小バズワードでしょ?」と捉えて、他人事のように接していればいいものじゃないということははっきり分かりました。

「M2Mってマシーン同士で、人が絡まないんなら興味ないや。コードを書けない俺にとっては楽しそうな世界でもないっぽいし」と思っていたのも、単なる知識不足でした。

ユートピア的な要素も随所に見られる本ですが、一方で十分過ぎるほどしっかりと現実を踏みしめて書かれている一冊です。

「IoT」「ソーシャルマシン」を、ビジョンから実装まで、頭の使い方から手の動かし方までと幅広く取り扱っていて、断片的な情報しかもっていなかった俺のような人にはピッタリでした。

 

久しぶりに読書ブログとして紹介します。

以下は書籍内に書かれていた言葉です。ただ「引用」というには順番を変えたりしている部分も多いので『ソーシャルマシン M2MからIoTへ つながりが生む新ビジネス』をコラージュしたものだと思って読んでみてください。
(また、この記事では「実装(手の動かし方)」に関する教えやアドバイスには触れていません。)

 



「人間の脳は、無生物の物体とも複雑で深い関係を築くことができる。これは、人間の脳と知性の特徴である」

アンディ・クラーク教授の著作『ナチュラル・ボーン・サイボーグ』よ

 

「インターネット上では、あなたが犬であるとは誰にも分からない。イメージ

nobody know you're a dog -- 1993年にニューヨーカー誌に掲載された、有名な一コマ漫画のキャプション

 

高度なグラフィックを使用している(オンライン)ゲームの場合、対戦相手は本当に人間らしい姿をしているため、誰が本当の人間で誰がコンピューターなのか区別することができない。(…)ゲームというのは本当にソーシャルな体験をもたらすのである--たとえ人間のプレイヤーが自分一人だとしても。

 

高度なコンピューターを搭載した製品のことを、人々が「スマート」と表現するようになっている点は、非常に興味深いと感じている。(…)「スマート」という言葉は通常、何らかの意識を持っていることを意味する。しかし今日、人々は知性を感じられるような形で自らに接してくれてるデバイスに対して、「スマート」という表現を使うことに抵抗を感じない

 

ソーシャルグラフの定義 : 「ソシオグラムのこと。ソシオグラムとはインターネット上のユーザーの関係を表したグラフを意味する」

ウィキペディアのソーシャルグラフの定義は「人と人との間の関係のこと」といった説明をしていない

 

物体とは、単にデータが硬い殻をかぶっているものにすぎない

 

「フィードバック・ループは単純な仕組みのため、過小評価されやすいが、実際には非常に強力なツールなのだ。(…)進歩すること自体を報酬に変え、望ましい行動を促すことができる。つまりフィードバック・ループは人間の行動を変えられるわけである。そして新しいテクノロジーのおかげで、生活のあらゆる側面でフィードバック・ループを実現することが、急速に可能になりつつある。

2011年6月号の『ワイアード』誌、トーマス・ゲッツ

 

知識がネットワークに結びつくと、部屋の中でもっとも賢いのは前で講義をしている人物でも、部屋にいる人々全体で生み出集合知でもなくなる。もっとも賢いのは部屋そのもの、つまり部屋にいる人々を結びつけ、さらにはその外にいる人々とのつながりも生み出すネットワークになるのだ。(…)知識と、それが依拠するネットワークとを切り離すことができなくなるという意味である

 

「ソーシャル」という場合、複数の人々とコミュニケーションするという意味が込められている。たとえばコミュニティはソーシャルな存在だ。「世捨て人」はソーシャルではない。現時点では、ほぼすべての製品が世捨て人のような存在であり、シェアという行為を行うことはほとんどない。一方でソーシャルな製品は、コミュニティと同じ概念をその中核に宿している。

 

「ネットワークに接続する機能を持つ製品が増えてきた(…)しかし新の『モノのインターネット』を実現する上で重要なのは、単にネットに接続できる製品を増やすだけでなく、それを利用したサービスを増やすことだ」

2013年1月の『ビジネスウィーク』誌イメージ

 

人々はガジェットを求めてはいない。求めているのはサービスなのだ。そして製品を通じてる体験が、時間と共に良くなっていくことを期待している。(…)ネットワークは、増え続けるアマゾンのコンテンツの世界へとつながるインターフェイスであり、窓なのである。キンドルはモノというより、ポータル(扉)といえるだろう。

ジェフェ・ベゾスの言葉を思い出そう

 

物理的な存在が触れ合うことのできる人間の数は限られている(…)バーチャルな存在になれば、さまざまな人と関係を持つことができる。

ブルース・スターリング『シェイピング・シングス』

 

他の道具と同様に、良いソーシャルマシンもあれば、悪いソーシャルマシンもある。いずれユーザーがそれを見極めてくれるはずだが、祭りに参加して新しい何かを研究し、プロトタイプをつくり、成功を目指して動き出すときがあるとすれば、今こそがそのときだ。人間だけがつながり、機械はそのまま孤立しているという時代は終わろうとしている。

 


 

ワクワクしてきませんか?

Happy Collaboration!