オリジナルはこちら(2014/7/28)
「××の時代」という言葉がみんな大好きみたい。なんでだろう? なんでみんな反応するのかな?
…わからない。
でも、書いている間に、なにか答えが見つかりそうな予感もする。
…まあ、俺の予感はよく外れるのだけれど。
コミュニティーの時代。
共感と共有の時代だ。絆と相互承認の時代だ。
こうした言葉に頷きつつも、「あれ…」と違和感を感じたり、ときには話を聞いているうちに居心地の悪さを感じることも。
そんな人は少なくないんじゃないかな。
おそらくは、話をしている人の思い描いているコミュニティーと、自分が描いてるコミュニティーのギャップがあまりに大きくて「あれれれ…」となっているんだろうなって思う。
ここで一つ、先日、読書ブログを書いた『ソーシャルマシン』に書かれていたコミュニティーに関する言葉を紹介します。
「コミュニティーは、ソーシャルと同じ概念を持っている。すなわちシェアとインタラクションを備えているということだ」
(言い回しはちゃんと確認していないので適当です。)
最近、ネットワークとコミュニティーについて頭にイメージが浮かぶことが多いです。
Wikipediaによると、ネットワークとは『節点(ノード)と経路(リンク又はエッジ)からなり、流れ(フロー)があるもの。』ということです。
うん、違和感ゼロ。これを人間で考えると、ノードが人間で、リンクが人と人のつながりで、フローがやり取りされる何かということになりますね。
ここで、人と人をつなぐ「リンク」に注目すると、社会におけるたいていの人のつながりは、たいていだらんと弛んだ状態じゃないでしょうか。
(家族や恋人など、ものすごく近い「リンク」は別として。)
何かのはずみで会ってみたり、ときどき思い出したように連絡しあったり、あるいはフェイスブックで「いいね!」しあったり。
そんなレベルの間柄の人が多いのは自然だし、それが当然ですよね。
でも、最近のコミュニティーというのは、この「だらんと弛んだ」リンクに張りを持たせ、ノードを引き寄せるものなんじゃないでしょうか。
■■通常のネットワーク | だら~ん、どよよーんって感じのつながり方
■■コミュニティーとなったネットワーク | グググイっと、真ん中のノードが周囲を引き寄せている感じ
「コミュニティーとなったネットワーク」の中央のノード、つまり「人」は、おそらくなんらかのテーマや目的を持っている「人」ではありませんか?
そして周辺に目をやれば、だらんと弛んだリンクも残っています。
ピンと張っている部分がコミュニティーの核ではあっても、少し弛んだリンクでつながる状態の部分ともつながっているし、排他的になるものでもなければその必要性もないですよね。
そして、つながっているノードも常に固定されている必要はなく入れ替わったり、リンクも張ったり緩んだりと、変化しているのが普通だと思うのです。
で、実はここからが今回1番伝えたかったことです。
7月28日(月曜日)の夜、『2014夏 コミュニティマネージャー・ミートアップ』というイベントをやるのでいらっしゃいませんか?
このブログを読んでるあなたは、きっと、なんらかのテーマや目的を持ってソーシャルメディアを使っていたり、あるいはNPOやサークル、同好会などで周囲の人たちと一緒に行動を取っているんじゃないですか?
今度のイベントは、そんな「人のつながりに積極的に関わっている人たち」、すなわち「コミュニティマネージャー」たちのためのイベントなんです。
そして今回のイベントでは、5,000人を超す大規模なWeb技術者のコミュニティーの創始者だったり、ソーシャルグッドを追い続けて発信をし続けている人だったり、日本でも有数のNGOから地域を中心としたコミュニティーマネージャーへと転身を遂げた人だったり、そんな人たちに対話の中心に入ってもらおうと思っています。
「マネージャーではないな」「まだ始めてないし」「ソーシャルは関係ないわ」--いろんな違和感や疑問、意見があることと思います。
でも、今は細かいところを見つめるのは止めてみてください。そして、心配をする必要もありません。
あなたが興味を持ってコミュニティーというもの、つまり人々のつながりに関わろうという気持ちを持っている人なら、きっと何か役に立つものが見つかるはずです!
詳細・お申し込みは下記URLからどうぞ!
http://peatix.com/event/43822 (有料1,500円ですが、懇親会費用込みです!)
「××の時代」という言葉がみんな大好きみたい。なんでだろう?
やっぱりわからないままだ。
でも、「コミュニティーの時代」が好かれるのは、手を取り合いたくなる人や集うべき目的が見えてきているからじゃないかな。
みんなに会えますように。
Happy Collaboration