オリジナルはこちら(2014/9/26)
デザインそのものをリフレーミングする全6回シリーズを開始!
デザインをしていない人など、現代には存在しません。しかも、常に誰もが知らず知らずのうちにデザインし続けている状態で、デザインすることから逃れる術がないわけです。
(…)新しいデザインの方法に関する知識に飛びつき、その知を貪り食っている場合じゃないありません。
パターン化された方法論や先行事例をつまみ食いするだけでは知りえない、デザインの深い森に足を踏み入れ、デザインという魔術の本質を明るみに出していきます。
デザインの深い森 - 山ちゃんと棚てぃーのデザイン論 Vol.1 「魔王のテーブルのその上で」 より
最近、な
んだか「
デザイン
思考だ!
」「デザ
イン方法
論だ!!
」と、デ
ザインデ
ザインっ
てちょっ
と流行り
過ぎじゃ
ん? とうっす
ら感じて
いた私に
とって、
やたらと
興味を引
かれるイ
ベントの
紹介が目
に飛び込
んできま
した
。
スピーカーを見れば、これがなんと「話を聞いてみたい!」とずっと思っていたお2人。
千葉工業大学デザイン科学科教授・山崎和彦さん
株式会社ロフトワーク イノベーションメーカー・棚橋弘季さん
こりゃ行くでしょ! というわけで行ってきました。
会場はデザインやアートに造詣の深い方々、あるいはそれを勉強している学生の皆さんばかりのようでした(でもその完全な畑違いな感じが心地よかったです)。
そして、その内容ときたら、想像を遙かに超えたすばらしさでした。
今回のメインスピーカー棚橋さんは、中世以降のヨーロッパ文化のヒストリーに対して恐ろしいほどの博学ぶりで、その知識を深い洞察で当時の社会的な出来事と絡めて一本のストーリーにまとめ上げられていました。
それはもう、さながら巡り巡る知識のラビリンスに迷い込んだよう!
もう楽しいったらありゃしない。ビンビンきました。
1日経って改めてメモ書きを見直していたら、ちょっとこのまま自分だけのメモとしておくのはもったいないというか、忍びないという気がして、ブログに書こうと思いました。
そして先ほど、棚橋さんに聞いてみたところ(安価ながら有料イベントでしたので)、ご快諾いただけました!
…ただ、いざブログとしてまとめてみようとすると、理解の浅さや自分の思い込みの強さもあり、なかなかまとめられず…。
ただ、それでもやっぱり集めて並べて分類して、アウトプットすることで吸収力を高めたいので、独りよがりなまとめ方でアウトプットします。
なお、お断りしておきたいのですが、ここに書かれていることは、セッションの全容を表しているわけではまったくありません。
お話のごく一部のエッセンスを自分なりに消化したものだったり、あるいはまだ反芻中のものだったり、さらには未消化物として自分の中から出てきたものだったりをゴッチャにして書いているので、セッションの中で語られていない言葉すらも混ざっています。
くれぐれも棚橋さんの発言だと決めつけないでください。おかしなところ、不明瞭なところは私の「未消化の思考」が混ざりこんでいると思っていただいてまず間違いないかと。
■欺きの技術
中世以降
の騙し絵
技術の発
達。しか
し、そも
そも遠近
法だって
一種の「
欺きの技
術」では
ないのか
?
シェイクスピアの台本は書かれたものではなかった。書かなければスペルは単語は確定せず、「サン」が太陽なのか息子なのかも捉えようは人それぞれ。相手任せ。
欺きが数々のエンターテインメントを生みだしている。
■光と錯覚
啓蒙(enlightenment)のそもそもの意味は「くらき(蒙)をひらく(啓)」。
絵画や舞台というアートでは、視覚的に認識できるように光をあてることがスタート。そこに「錯覚を利用する」書き方、描き方が生まれ、不可欠なテクニックになっていった。
また、そ
れまで見
えていな
かった「
内的な構
図」を、
光の当た
る世界へ
連れ出す
という意
味あいか
ら捉える
と、当時
発展して
いった解
剖学(人
間の内部
探索)は
、ミクロ
コスモス(人間)
とマクロ
コスモス(宇宙)
が相似と
考えられ
ていた中
世ヨーロ
ッパにお
いては宇
宙探索と
同義だっ
た
。
デザインとは主観的真実を作り上げることか?
目に見えるものがすべて真実じゃないのは、騙し絵(トロンプ・ルイユ)やオプ・アートを見ればわかる。同様に、手に取ったり腹に沁みたりするものだって…。
■同じと似てる
「似てる」ことの価値を暴落させ、「同じ」であることの価値を高騰させた。
その後、たくさんのテクノロジーが視覚以外にも多くの「同じ」を生みだしてきた。そしていよいよ五感全体での「経験」を同じにするのか?
ところで、「ヒストリー」と「ストーリー」は兄弟単語らしい。元々は同じ「知る」あるいは「見る」という単語。
■脅威の部屋と抽象化
さまざま
な珍品物
をただた
だ集めて
並べてい
ったのが
中世の「
脅威の部
屋」(集
めて並べ
る)
。
それを分類して見せたのが美術館や博物館(集めて並べて分類)。それに値札をつけたのが「百貨店」。
これを平面上で行ったのがエンサイクロペディア(百科事典)で、そこには「アルファベット順」という画期的なフレームワークがもたらされていた。
デザインとは集めて並べて分類して「意味を与える」こと。
複数の要素を統合して分かるように抽象化するための技術(あるいは詐術)。
フレームワークや思考のルールを作ったり使いこなしているインフォメーション・アーキテクトやコンサルタントは、はたしてデザイナーかコン・アーティストか?
■雑多もろもろ
- 記録するとは、観察して「数、形、位置、比率」を残すこと
- 抽象化とは、余計なことを排除してシンプルにすること
- 型を持つ物体はデザインから逃れられるのか? それを逃れるための欺きなのか?
- 情報過多と過剰整理とデザインと。デザインが過剰整理を進めているのか。過剰整理がデザインを進化させるのか。
- サブジェクトとオブジェクト。視覚優位と認知の偏り。ロジックとエモーション。
デザインの深い森、次回は「草原の泉(仮)」(10月30日開催)だそうです。
すごく楽しみ!
Happy Collaboration!