オリジナルはこちら(2015/3/11)
最近、311の後も継続して支援を続けている人たちを見ながら、「ああ、俺はなんにもしていないな。最初はいろいろな機会を見つけて応援していた分、むしろカッコ悪いな」って感じていました。
そして昨日の夜も「せめて明日は口を閉ざし、心の中で祈ろう」と思っていました。
でも今朝起きて、Facebookを開いたら、"さとなお"ことさとうなおゆきさんのこんな言葉が目に飛びこんできました。
ボクは阪神淡路大震災で被災し、その直後のつらさをいろいろ体験した。でも、復興の過程で身に染みて感じたのは「忘れ去られるのはもっとつらい」ということ。あれから20年経ったけど、いまでもリアルにあのつらさを思い出す。東北復興もきっと同じ。ちょっとしたことでいい。「最近なにもしてないのに厚かましいかな」とか思わなくていい。連絡しよう。顔だそう。忘れてないよ、と、伝えよう。
(『3.11、検索は応援になる。 - Yahoo!検索』より)
救われた気がしました。本当に。とても。
自分があの時からなんども口にしてきたことを、もう一度自分に言ってきかせたくなりました。
直接行動している人が一番カッコいい。多少ズレてたってブレてたって、行動している人が一番だ。
次にカッコいいのは、行動している人を支援・応援している人たちだ。やり方はなんでも構わない。
直接的にも間接的にも行動もせず、ただ黙しているのはカッコよくない。何も思わないのか?
自分は何もせず、行動している人を批判したり、揚げ足を取るようなことをしている奴らはカッコわるい。
もう一度、ちょこちょことできることを見つけていこう。間接支援でもできることはいろいろある。
行動している人たちに情報を届ける、エモーショナルな支援をする、コンパニオンシップを発揮する、物理的な支援をする…。できることはいろいろある。
きっと、また少ししたら「最近なにもしてないな」とか、「いまさらのこのことカッコ悪いかな」とか、そんな思いが頭をよぎる日が来るかもしれない。
そのときに、さとなおさんの言葉や昔書いたことが頭のなかで響くよう、自分のためにももう一度ここにも書いておこうと思います。
"there ain't no such thing as a free lunch"という言葉があります。
「世の中にタダメシなんてものは存在しない」とでも訳せば良いでしょうか。
私たちが日常生活の中で、「無料」だと思って受けているサービスやサポートは、誰かが代わりにその代償を払ってくれています。
私たちが「あたりまえにそこにある」と思っているものも、その多くは、別の誰かがそれがそこにあり続けるようにしてくれているものです。
やっぱりアクションを起こす人、起こしている人たちはカッコいい - 言い訳することなく、「では、どうすればよいか」「できる中での最善は何か」を探して考えて動き出す。カッコいいに決まってる