Pachi's Blog Annex ~自薦&自選よりぬき~

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グループとチームとコミュニティーの違い

オリジナルはこちら(2013/06/24)

 

突然ですが、「コミュニティー」という言葉が意味するものがここ数年で大きく変わってきている、と思っています。

 

インターネットやソーシャルウェブが現在のように普及するまで、コミュニティーという言葉が人々にイメージさせるのは「地域共同体」と「地域社会」でした。

そして、地域共同体であれ地域社会であれ、(範囲こそさまざまですが)前提として物理的に同じ場所の人々の繋がり、あるいは同じ場所に集うことを主に指していたと思います。

(なお、地域共同体と地域社会の違いや、コミュニティー論の定番であるゲマインシャフトゲゼルシャフトの違いについては、Wikipediaのこのページにざっくりとまとまっているので参考にどうぞ)
(それにしても、似たような見た目、響きでどっちがどっちだかいつも迷ってしまう言葉たちです…)

 

それが今では、インターネットにより解かれた地域や場所の縛りを基盤に、ソーシャルウェブがその上で人の繋がりを支え発展させていく中で、コミュニティーが意味する範囲は大きく広がっています。

従来のコミュニティーの意味あいも残したまま、コミュニティーという言葉は多義的に広範囲に使われ、包含性が非常に高いものになっています。



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と、なんだか固い書き出しになってしまいましたが、今回書こうと思っているのはここ数カ月、何度となくいろいろな「コミュニティー」の人たちとオンラインやオフラインで議論や対話をしてきたテーマです。

ずばり「コミュニティーってなんなのさ」という話しです。

 

コミュニティーの内側で「コミュニティーという概念や定義」を語るのは、実は案外難しいです。

イメージして欲しいのですが、例えば学校のクラスの中で「クラスとはなんなのか。学校とはなんなのか」を議論してみんなの意識をすり合わせようとしたら、 相当難易度が高いと思いませんか? だって、一人ひとり考えていることや求めていることに相当のバラツキがある上に、物事って中から見ると、外から以上に見える風景が位置によって大きく異な るじゃないですか。

 

もう一つ。

例えばサッカー日本代表チームの中で「代表チームとはなんなのか。サッカーとはなんなのか」という議論をしても、意見が完全にまとまることはないでしょう。

まあそもそも、概念や定義なんてものでまとまる必要は彼らにはないでしょうけど。

「ネットを揺らし、揺らされないことが大切」なことは、議論の余地なく全員がわかっているのですから。

 

話しがズレましたが、プロスポーツチームと違いコミュニティーの場合、自分たちが何を目標にどのように進んでいくか(あるいは進んでいかないか)を、自分たちで決めていく必要があります。

そして、コミュニティーについて考えれば考えるほど、議論すればするほど、その包含性の高さゆえにもやもや感は高まります。

進むにしろ後退するにしろ留まるにしろ、「自分たちのコミュニティー」をどうするのか、どうしたいのかを考える上で、自分自身とメンバーが持っているコミュニティーのイメージや定義をある程度理解していないと、話し合いは何度となくある地点に戻ってしまうのです。

 

「で、そもそもコミュニティーってなんなのさ?」

 

 

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理解や共有を進める1つの方法として、「コミュニティーとxxxxの違い」を見ていくことで認識の差異やズレを浮き彫りにしていくのはどうでしょうか。

「私とあなたのイメージの違いはここだね」と明確になり、お互いが抱いているイメージや価値を理解しやすくなるんじゃないでしょうか。

 

というわけで、ようやくここからが本題です。

コミュニティーとチームとグループの違いってなに?

 

「グループとチームの違い」とは昔からいろんなところで論じられていて、その違いはある程度明確にみんなの頭の中にあると思うので、同じような測り方・量り方ができそうな気がします。

さて、うまくいくかどうか。ひとまずはたたき台として出してみようと思います。
(おっとその前に、ここでいうコミュニティーは「地域や場所を超越したタイプ」のもの限定です)

 


 

 

  • グループは足し算。成果は一人ひとりの成果の総和
  • グループは他力的に組まれる/組まされることも多い(授業のグループワークなど)。グループは今すぐ作れる
  • グループでは目的や目標が共有されなくてもよい。行動を共にすればグループになる
  • グループには積極的な参加が求められる。参加が貢献を意味する
  • グループはメンバー全員が個別のネットワークで結ばれていることもいないこともある
  • グループではメンバーの目線は横向きで相互監視感が常にある

 

 

  • チームは掛け算。成果は全員まとめて一つ
  • チームはお互いに対する信頼や敬意を積み重ねてじょじょに形成されていく。チームは今すぐ作れない(時間をかけて作りあげる)
  • チームは全体の目的や目標を達成するために組まれるので、目的や目標の共有は必須
  • チームには積極的な参加が求められる。ただし参加イコール貢献ではない
  • チームはメンバー全員が個別のネットワークで結ばれている
  • チームではメンバーの目線は前、もしくは上向きで相互監視感がときどき働く

 

 

  • コミュニティーは? …足し算と掛け算の両方を包含している
  • コミュニティーは? …自発的だが、信頼や経緯は必ずしも必要ではない
  • コミュニティーは? …目的や目標を共有してもよいが、されていなくても問題ない
  • コミュニティーは? …参加は「ぼちぼち」でも良い。貢献も「いつかは」でも良い
  • コミュニティーは? …メンバー全員が個別のネットワークで結ばれていないこともある。そもそも知らないメンバーも存在する
  • コミュニティーは? …メンバーの目線は普段はバラバラ。相互監視感は弱い

 

 

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組み合わせ方を変えて表示してみます。こっちの方が見やすいかも。
 

 

  • グループは足し算。成果は一人ひとりの成果の総和
  • チームは掛け算。成果は全員まとめて一つ
  • コミュニティーは? …足し算と掛け算の両方を包含している

 

  • グループは他力的に組まれる/組まされることも多い(授業のグループワークなど)。グループは今すぐ作れる
  • チームはお互いに対する信頼や敬意を積み重ねてじょじょに形成されていく。チームは今すぐ作れない(時間をかけて作りあげる)
  • コミュニティーは? …自発的に作られるが、信頼や経緯は必ずしも必要ではない

 

  • グループでは目的や目標が共有されなくてもよい。行動を共にすればグループになる
  • チームは全体の目的や目標を達成するために組まれるので、目的や目標の共有は必須
  • コミュニティーは? …目的や目標を共有してもよいが、されていなくても問題ない

 

  • グループには積極的な参加が求められる。参加が貢献を意味する
  • チームには積極的な参加が求められる。ただし参加イコール貢献ではない
  • コミュニティーは? …参加は「ぼちぼち」でも良い。貢献も「いつかは」でも良い

 

 

  • グループはメンバー全員が個別のネットワークで結ばれていてもいなくても良い
  • チームはメンバー全員が個別のネットワークで結ばれている必要がある
  • コミュニティーは? …メンバー全員が個別のネットワークで結ばれていないこともあるし、そもそも存在すら知らないメンバーもいる

 

  • グループではメンバーの目線は横向きで相互監視感が常にある
  • チームではメンバーの目線は前、もしくは上向きで相互監視感がときどき働く
  • コミュニティーは? …メンバーの目線は普段はバラバラ。相互監視感は弱い

 

 





どうでしょう。

私自身にとっては自分の考えを整理するのに役だったのですが、皆さんがコミュニティーについて考え、会話や対話をする上でも役に立ちそうでしょうか。

 

こうして単純な言葉と短いセンテンスに削りだしていくと、たくさんのものが抜け落ちてしまうわけですが、だからこそスタート地点とするにはふさわしい気がします。

理解できないところや納得できないところを、対話しながら整理していけるものになりそうじゃない?

 

最後に、抜け落ちたところや削り落としたところ、それから少し違う観点の言葉を足して終わりにします。

 

■グループもチームも2人いれば成り立つが、コミュニティーは最低3人必要(な気がする)

 

■「チームワークを発揮する」という表現はあるが、「グループワークを発揮する」とか「コミュニティーワークを発揮する」とは言わないなぁ

 

■学校の仲良しグループとかって、役割りとそれを演じることを仲間から求められる度合いが強すぎて、それがいろいろな問題につながっているんじゃなかろうか。

流動性が極端に低い場所では、お約束を演じきることで成り立つ「見えないルール」が作られやすい。ひょっとしたら職場も同じか…。
(そういえば『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』も『桐島、部活やめるってよ』も、こうした役割りを演じるグループ(あるいはコミュニティー)の解体がテーマだ)

 

■コミュニティーは「ユルい」というが、「役割りを求めない/縛られない」ところがコミュニティーのユルさではないか。

具体的には常に参加する必要も貢献をする必要もなく、できるときにできる範囲で参加したり貢献したり、ときにひっそりと現れひっそりと消えていくことも可能というあたりがユルさの本質だと思う

 

■とりわけオンラインのコミュニティーにおいては、クリス・アンダーソンが言うところの「Crowd Accelarated Innovation」が働き、「受動的な参加」ですらコミュニティーが向上していくエネルギーを与える

クリス・アンダーソンのTED Talk「ウェブ上の動画が後押しする世界のイノベーション

 

■オンライン「だけ」のコミュニティーの長所と短所

 

■コミュニティーの「ユルさ」を心地よく感じる人とそうでない人がいる。イヤ、正確には同じ人でもあるコミュニティーには心地良い「ユルさ」を求め、別のコミュニティーには「ユルさ排除」を求めたりする。

結局何を欲してそこにいるのか、か

 

■グループの、チームの、コミュニティーのリーダーが持つ権限は、誰により与えられたものか。メンバーなのか、それとも第3者なのか。

その権限はメンバーからのチャレンジを受け入れているか、権威的に成り過ぎていないか?

 

集合知と集合痴

 

■「コミュニティー」と「群れ」の違いは?

 

 

長いエントリーに最後までお付き合いありがとうございました。
おそらくまた、もう少し整理して違うアプローチから考えてみたいと思います。

 

Happy Collaboration!