オリジナルはこちら(2014/10/8)
■EGMフォーラムとは
一昨日はEGMフォーラム(※1)の月例会でした。
毎月メンバーの誰かが会場を提供して、場所を変えながら開催しているEGMフォーラムですが、今回は私が場所提供者&ホスト役になり、日本IBM箱崎本社での開催でした。
自分が普段いる場所での開催は、移動しなくてよいというメリットもあるものの、入館受け付けやエスコートなど面倒な事務処理が必要で、正直あまり「ありがたいもの」ではないわけですが…。
でも実際、場所がなければ集まれないわけで、ひとまずは必要な『開催のコスト』(※2)と割りきるしかなさそうです。
とはいえ、実際はただ面倒なばかりではなく、EGMフォーラムの独自ルールが特権を与えてくれるという側面もあります。
会場提供者がホスト役になるというルール、そしてホスト役がアジェンダをある程度(というかほぼ丸々)自由に設定することができるというルールです。
この特権を活かせば、実験的な試みを実施したり、自分が今強く惹かれていることにテーマ設定を寄せていったりと、新しいことや面白そうなことを試せるという楽しさもあります。
(※1) 毎月1回のクローズドな定例会合と、年に数回のオープンセミナー・討論会など(EGMサミット)を開催しています
https://www.facebook.com/egmforum/
(※2) 勉強会の社内への誘致 - 未来のいつか/hyoshiokの日記
http://d.hatena.ne.jp/hyoshiok/20141002/p1
■ループス・加藤さんの「働き方と組織の未来 - 個人と組織の新しい関係性」
ここのところのEGMフォーラムでは「人を幸せにするコミュニティーとそうじゃないコミュニティー」とか、「コミュニティーの求心力と遠心力」なんてテーマでああでもないこうでもないとディスカッションをしていました(※3) 。
ただ、プレゼンしたり対話したりしながらも、このテーマに対して何か自分たちだけでは見えていなかったり表現できないものがあるんじゃないだろうか。自分たちの中に内包はしてはいるんだろうけど、意識的にそれをうまく引き出してスポットを当てるのには、何かが足りていないような…。
そんな気がしていました。
(誤解のないように言っておくと、EGMフォーラムのメンバーはそれぞれ自社内外で自主的なコミュニティーを立ち上げたり運用している、知識や経験を持つメンバーばかりです。)
そんなわけで、今回はホストの役得として、異なる視座と生き方で私自身とEGMフォーラムをインスパイアしてもらおうと、ループス・コミュニケーションズの加藤たけしさんに講演+ディスカッションで2時間弱がっつりと話をしてもらいました。
加藤さんとは「コミュニティマネージャーズ・コミュニティ(CMC)」というコミュニティーで一緒にイベントをやったり(※4)、in the looopのブログ記事のやり取りなど、以前からいろんなところでコラボレーションしてもらってる間柄です。
そんなこともあって、私の「コミュニティーや多様性のある社会に対する考えや想いを、たっぷり語って欲しい」という、ざっくりし過ぎているお願いにも、快く応えてもらえました(本当に感謝しています。加藤さん改めてどうもありがとう)。
セッションタイトルは「働き方と組織の未来 - 個人と組織の新しい関係性」。
とてもすてきな内容で、ディスカッションも盛り上がったのですが、私にとっては特に下記の一枚に脳みそを強烈に揺さぶられました。
(※3) EGMフォーラム月例会報告(9月10日)~「コミュニティの求心力」 - なおきのブログ
http://naokis.doorblog.jp/archives/egmforum_201009.html
(※4) 感謝とまとめと提案 - #コミュマネ・ミートアップ
https://www-304.ibm.com/connections/blogs/pachi/entry/cmmsideb?lang=ja
■自分と仲間 + 仕事と会社 + 暮らしと社会 × 成長と幸せ
加藤さんのこの「1. 私 - 仕事 -社会 / 2. 「成長」と「幸せ」の両立」が、私には渾然一体となってこんな形になって頭に飛び込んできました。
自分と仲間 + 仕事と会社 + 暮らしと社会 × 成長と幸せ
なんだか、ここからはうまく表現できる気があまりしないのですが…。最近の自分は自分寄りすぎて仲間に渡せていないな、ということを聞きながら感じていました。
EGMフォーラムはgive & givenをミッション・ステートメントに掲げています。でも、私は何をgiveできているんだろう…?
社内での仕事も、自分の視座でしか見ていないんじゃないか。自分の手の届く範囲から踏み出していないんじゃないのか?
自分の暮らしを楽しいものにするためのアクションは取っていても、社会を楽しいものにするためのアクションはどうだろう? ただ文句言ってるだけなんじゃ…?
結局どれも、気持ちよく受け入れてもらい自由を与えられているのにもかかわらず、それを当たり前のように受け取っているだけなんじゃないかって。
私は欲深く、何かを手にするともっと欲しくなる人です。
「居てもいいよ」と言ってもらえるだけじゃなくて、「居ないと困る」って言われたいんです。
でもそれなら、居てもいいと言ってもらえた場所を、もっとすてきな場所にしていこうとしていかないと。
「コミュニティーの求心力って何だろう? 遠心力って何?」を考えるのももちろんいいけど、「自分が求心力の一部になろう」だったり、遠心力を感じたらそれを打ち消そうとするとか。
分析したり評論家になるだけではなくて、行動してなければ成長と幸せには繋がっていかないんじゃないだろうか。
…と、熱い気持ちで書いているんですが、言うことがコロコロ変わるのも自分だし、ひねくれ者で荒くれ者の気性はそうそう簡単には治まりません。きっとまたすぐにひねくれだすことでしょう。
でも、一度、このタイミングで言わせてください。
EGMフォーラムのメンバーのみんなや、その他さまざまなコミュニティーで私Pachiを受け入れてくれているみなさん、ぜひ、いつかどこかで「居てよかった」と言ってもらえるようになりたいと思いますので、ながーい目でよろしくです。
Happy Collaboration!