Pachi's Blog Annex ~自薦&自選よりぬき~

『Pachi -the Collaboration Energizer-』の中から自分でも気に入っているエントリーを厳選してお届けします♪

1968年 – 市民運動と学生運動の展示会

オリジナルはこちら(2017/11/14) 

 

千葉県佐倉市国立歴史民俗博物館に、市民運動学生運動の展示<「1968年」-無数の問いの噴出の時代->を見に行ってきました。

 

きっかけは、治部れんげさんの一連のツイートです。

 

“印象的だったのは、当時起きた様々な市民運動で使われたビラや冊子、手紙、旗などの現物。”
https://twitter.com/rengejibu/status/921285036057403392


“脱走した米兵が海外から日本の支援者に送ったハガキもあれば、サルトルからの電報も。すべて現物”

https://twitter.com/rengejibu/status/921285167171301376


“企画意図には明確に「個人」に光を当てると書いてあり、権力に対峙する反政府組織を称揚するものでないところに好感を持ちました。都内から遠いですが一見の価値あり。”

https://twitter.com/rengejibu/status/921285987480649728

 

行ってよかったです! すごく!!

私は日本の歴史や社会史に疎いのですが、そんな私でも、自分の両親が生まれた頃から自分が生まれた頃、つまりは昭和初期から1970年代という時代にはとても興味を惹かれています。

歴史というよりも、今の自分に直結した「自分ゴト」として、ですね。

また、60年代や70年代のフーテンやフラワームーブメント、そして学生運動市民運動にも昔から興味は持っていました。

 

とは言え、その興味は派手でセンセーショナルな部分に対してで、はっきり言えば<ファッションとして>、あるいは<カッコイイものとして>の視点だけで60年代や70年代を見ていました。

10代の頃から、学生運動のゲリラ的な行動やアングラ感、フォーク集会やロックともつながる反逆スピリットなどのイメージに「あこがれ」を抱き続けていたのです。

 

そんなわけで、行く前は「きっと俺は学生運動のコーナーに一番ハマるんだろうな」と思っていたのですが、今回の展示会を観てさまざまな市民・学生運動間の関係性や時間的つながり、そして当時の世の中の空気感など、ずいぶんと全体感を得られた気がしています。

そして、学生運動の展示よりも、むしろ強く興味を惹かれたのが市民運動、中でもとりわけ「ベ平連ベトナムに平和を!市民連合)」でした。

 

日本の市民・学生運動を進化させたのは、ベ平連だったんじゃないか?

組織ありきではなく、一人ひとりが自分自身の考えをベースにして、自分自身の運動を起こしていく。そこに重なるものがあれば、ゆるやかに連携する。

— そんな、べ平連のスタンスやスピリットが、私たちに今必要とされているものなのかもしれない。展示会を観てから数日経った今も、そんな気がしています。

(とは言え、まだまだよく分からないことばかりなんですけどね)

 

f:id:dubbed_pachi:20181016132218j:plain

以下、ランダムですがメモしてきた言葉と、そこからちょっと調べてみたことを書いてみます。

当時のことに詳しい方で「いや、そうじゃなくてね…」というのがありましたら、ぜひ教えてください。

あ、先にお伝えしておきますが、ハードな<思想的勧誘>はご遠慮願います。

 

■ 新宿はベイタンの通り道

フーテンの溜まり場だったという話や、西口地下広場がバリケードで封鎖されていたとか、そんな話は聞いたことがありしたが、この〈新宿はベイタンの通り道〉という言葉は初めて見聞きしました。

ベイタンは〈米軍燃料輸送列車〉のことで、これを妨害しようとしたデモが〈新宿騒乱〉へとつながっていったのかな、という理解です。

 

九州大学ファントム墜落

この事件のことは、つい最近までまったく知りませんでした。大学の校舎に米軍機が墜落するという、とてもショッキングな出来事です。Wikipediaには〈九州大学電算センターファントム墜落事故〉というタイトルで紹介されていました。

この事件の顛末が、大学という場に警察権力が介入するきっかけとなったようです。

…やっぱり、ことの大きさの割にあまり語られていないような。

 

■  「殺すな!」バッジ

岡本太郎の書いた〈殺すな〉という文字を和田誠がデザインし、バッジにして配っていたそうです。この話も、まったく聞いたことがありませんでした。

ググってみると、今でもちょっと表現を変えて販売しているところがあるようです。

DO NOT KILL ANYWHERE, ANYTIME
— 至極当たり前のメッセージだからこそ、受け取る側の〈余白〉に染み込んでくるの気がします。

 

ティーチ・イン、脱走兵サポート団体ジャテック、橋の下大学、ハンパク、解放空間サンチカ、〈バリケード表現〉、一人ベ平連

どれもはじめて見聞きすることで、これから少しずつ調べてみようと思っている言葉たちです。

日本が米軍のベトナム攻撃の前線基地だったこととか、米軍基地から脱走する兵たちを追った<イントレピッドの4人>と言う映画があったとか、反戦万国博覧会なるカウンターカルチャーのイベントがあったとか、<>を多用して書くバリケード表現とか…。

なんだか、知れば知るほどもっと知りたくなるキーワードが、展示会ではたくさん紹介されていました。

 

f:id:dubbed_pachi:20171111122733j:plain

 

私はあまりテレビを観る方ではないのですが、ドキュメンタリー番組は大好きで、BS-TBSの<サタデードキュメント>やBS日テレの<NNNドキュメント>、そしてフジテレビの<ザ・ノンフィクション>を録画して観ています。

なんとなくですが、ここ最近はこれらの番組で、下筌ダム反対運動や水俣病との闘争を続ける患者さんや弁護士さんなど、60年代や70年代の市民活動が取り上げられることが増えている気がします。

やっぱり、一人ひとりの行動の起こし方を、もう一度考える時期なのかも?

 

…もう一回行こうかなぁ。

 

<「1968年」-無数の問いの噴出の時代->

第1部 「平和と民主主義」・経済成長への問い

 

第2部 大学という場からの問い―全共闘運動の展開

  • 【第1章】1960年代の大学
  • 【第2章】全共闘運動の形成と展開
  • 【第3章】大学闘争の全国展開
  • 【第4章】闘争の沈静化と遺産

 

Happy Collaboration!