Pachi's Blog Annex ~自薦&自選よりぬき~

『Pachi -the Collaboration Energizer-』の中から自分でも気に入っているエントリーを厳選してお届けします♪

民主主義は雑談に支えられている(冬のフォルケ総括その2

オリジナルはこちら

 

11月の中旬、北海道のど真ん中にある東川町という人口8,000人強の町で、10数人の仲間たちと8日間一緒に過ごしてきました。

その期間の前後は、こちらのブログからちょっと離れてnoteにわしゃわしゃと書き綴っています。先日<北海道東川町のステキな人たち>と<2020年冬のフォルケ with Compathと仲間たち>という2つの「マガジン」を作ったので、よかったら読んでみてください。

 

 

 

■ 北海道東川町のステキな人たち

「雇用を守ること。お客様を守ること。環境を守ること。」に真摯に取り組んでいる、株式会社丸巳 矢澤農園代表の矢澤 教祐さん。

「人間や環境にとって有害な工法や物流・商流にNo。」を貫き通すために考え続けている、北の住まい設計社さん。

「街を消費させない。食をサーキュラーに。自由を守る。」ために、実践を続けながら人びとに問いかけ続けているファーム・レラの新田夫妻。

「力不足のところはあるだろうけれど、今この町に住む町民たちのことを誰よりも考え抜いているという自負はある」と力強く言われた、東川町スタイル課 菊地さん。

 

 

みなさん、本当にありがとうございました!
こちらのマガジンでは、4人の「現場でずっとずっとやり続けている人たち」のことを書いています。

皆さんの話を聞き「自分がコミットできる町を持っているのってステキだな」という、これまで一度も思ったことがなかったことを感じさせてくれるものでした。

おれも「自分にとっての東川町」をゆっくりと探してみようかな。

 

 

■ 2020年冬のフォルケ with Compathと仲間たち

こちらのマガジンには、東川町で感じたことを「ステキな人たち」以上にもっとぐちゃぐちゃ雑多に詰め込んでいます。そして、勝手ながら8日間を共に過ごしたあおいさんtsuruppoさんReikoさんのnoteも混ぜちゃいました。

一応、おれなりの総括的なことを「民主主義と余白と内側にある問い」に書いています。

 

 

ただ、先日のデモクラシーフェス2020賛同企画 ぱちはらダイアログ Vol.16 「民主主義とデモクラシー」で、原さんに「なにが良かったの?」とポンっと訊かれて頭に浮かんだのは「集団生活と集団行動」、そして「雑談と民主主義」でした。

というわけで、ここから「総括その2」的なものを。

 

 

■ 集団生活と集団行動

おれはコロナ後のこの数カ月、「家族」と「友だちとおれ」以外の「コミュニティー感」はほぼ感じることなく暮らしてきました。

そんな中で、東川町での8日間は、「ワーケーション + フォルケホイスコーレ(北欧の寮生活型大人向け人生の学校)」という過ごし方で、空間や空気感を長期間にわたって共有する生活は新鮮でした。

 

 

ただ、思い出してみれば、昨年の2月にもデンマークのロラン島で10人ほどで5泊6日の共同生活を行っているんですよね。
でもあのときは「テーマを決めた対話」というのは少なかったんですよね。「料理」というやるべき共同タスクが目の前にあり、それ以外の時間はただただリラックスした会話を楽しんでいた感じ。

それに対して今回Compathの2人は「内省と対話」を常に求めてきました。そのおかげでかなりの頻度で「矢印が自分の内側へ向かう」んですよね。

その時間が、おれにとっては「(自分を含む)集団」について考える時間へとつながることが多かった気がします。

 

 

当たり前のことですが、集団の規模が小さければ小さいほど、自分がその場に及ぼす影響力が大きくなります。「積極的に協力しない1人」が3人の集団にいるのか30人の集団にいるのかを考えれば分かりやすいですよね。

今回の「ワーケーション + フォルケホイスコーレ」という形態では、基本的には日中は一人ひとり別々に仕事をしているので、物理的に時間や空間を共にする場面はさほど多くありません。
仕事の状況次第で長めに休憩をとって一緒にお昼を食べに行けることもあれば、1人でサクッと部屋で済ますこともありました。

 

 

だからこそ、自分が集団の一員となれる朝ごはんとその後のアクティビティ、夕ご飯とその前後のセッションの時間がおれにとっては愛おしくなっていきました。

日が進むにつれ、みんなといるときは「自分に提供できるものが何なのか?」を考えることが増えていったし、1人になると「提供するに足る自分で在り続けるためには?」みたいなことを考える時間が増えていった気がします。

これは、1人の時間と集団の「時間の量」と「切り替わりのタイミング」が、おれにとってはとてもバランスの取れたものだったからじゃないかと思っています。

 

 

自分と集団が、いい感じで「分離しながらも地続き。」みたいな。

 

 

■ 雑談と民主主義

・ 行動や決断 | その人の表層や形状という外界に面している外殻を示す
・ 雑談や対話 | その人を構成している中にあるものや外殻の成り立ちを伝える

行動が示すものって、その人自身よりもその人がまとっている役割だったり立場だったりする気がします。それに対して雑談って、思考であったり生き方であったり、より「その人自身」の本質に近いものを伝えるものではないでしょうか。

いわば、その人の中にあるウェットなものが外殻に染み出てくるのが、雑談や対話であり、それを通じて人はもっと理解し合えると思うのです。

 

 

表層が乾いてザラッと、あるいはツルッとしているときよりも、粘り気や湿り気が浮き出ているときのほうが本当の生き物って感じがしませんか?

おれの場合は、無生物的なものよりも有機的で命を感じさせてくれるものの方が愛おしく感じます。認めたり受け入れたり許し合えたりできる相手のように感じます。

 

 

それぞれの違いを「違うままで良い」と思えること。相手と自分の「一線」がどこにあるのかを認識しあい、「認め合ったり許し合ったり」すること。そのためには対話が必要で、対話の潤滑油が雑談って感じですかね。

雑談でシャッフルして対話で混ぜる。

 

 

分断して排除し合うのではなく、同じ時間と場所を共有しながらも「だれもが本当の自分自身でいる」という状況を生み出す。

それが、おれが大事に思っている民主主義であり、それを育てていくってことなんじゃないかなあって。

 

Happy Collaboration!