Pachi's Blog Annex ~自薦&自選よりぬき~

『Pachi -the Collaboration Energizer-』の中から自分でも気に入っているエントリーを厳選してお届けします♪

雑談と対話(と多様性と民主主義)

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半月ほど前、『民主主義は雑談に支えられている(冬のフォルケ総括その2)』にこんなことを書きました:

「行動は外部から見えやすいけど、そこに至るプロセスは行動だけでは見えない。」
「相手と自分の『一線』がどこにあるのかを認識しあうには対話が必要。」

ここ2〜3週間、ほぼ毎日誰かと「雑談と対話」のことを雑談しています。そんな中で自分の中から出てきたものをまとめておきたくなりました。

 

 

 

■ 雑談と対話をたゆたう

ところで、「対話しない?」って呼びかけって結構重くないですか? なんか「覚悟」とか「準備」とか必要そうで、気軽にスタートできなそう。

「対話の潤滑油が雑談」と前に書きましたが、今は「雑談と対話はそんなにはっきり分けられるものじゃない」って気がしています。その混じり方にはいろんな形がある。

そしてもっと現実的な話をすれば、雑談と対話を分ける必要も理由も存在していないんじゃないかな。

 

 

雑談と対話は行ったり来たりするもの。ゆるゆると混ざったり急速に分離したりするもの。

そう考えれば、相手が「対話を求めている」とか「対話好き」とかはっきり分かっているとき以外は、「対話しない?」よりも「雑談しない?」って呼びかけの方が良くないかな。

ほとんどの場合、こちらが対話を求めていて、そういうスタンスで話しをすれば、雑談は対話へとつながっていくと思うから。

 

 

対話へとつながる良い雑談には、次の3つの「そういうスタンス」がある気がしています。

・ そこに自分がいること – 自分ゴトとして話す

・ 相手の隣に並ぶこと – 留保しながら五感をすませて聴く

・ 相手にも自分に触れる – 理屈も感覚も言葉にする

 

 

■ 良い雑談スタンスその1
そこに自分がいること – 自分ゴトとして話す

世間話でも他人話でも、話している中身はまあなんでも構わないんだと思います。ただ、そこに「話し手」がいることが大切なんじゃないでしょうか。

世の中のことでも、誰か他人のことでも、ただの伝聞として話すのではなく、自分がなぜその話をしたいのか。なぜそれに興味・関心を持っているのか。自分がそこに何を見るのか。

 

 

自分という人のカケラや自分の物の捉え方の尻尾みたいなものが、そこに存在していることが大事だと思うのです。

あ、「熱く説き伏せよ」とか「つねにマジメであれ」ってことではないですよ。
ちゃんと自分自身がそこにいるようにようしようよってことです。

 

 

 

■ 良い雑談スタンスその2
相手の隣に並ぶこと – 留保しながら五感をすませて聴く

時間を共にして交流するのだから、双方にとっていい時間な方がいいですよね。自分か相手か「どちらかだけにいい時間」で終わってしまえば、おそらく次はないでしょう。

相手と自分が何が同じで何が違うのか。それが分かれば自分のことがもっと理解できるし、相手のことも分かる。そのためには、もっと相手の深いところから出てくる感情や言葉を聞きたい。
— そう思って話を聞いていれば、相手の言葉を条件反射的に自分の判断で打ち返したり、表面的に分かったような振りで聞き流したりすることはなくなりますよね。

 

 

「ちゃんと相手の話を聞く」っていうのは、判断を少し後回しにして、相手の考えや思考のプロセスを訊ねるってこと。
言葉にしずらかったり、言葉になっていないところもあるんじゃない? って聞いてみよう。

 

 

 

■ 良い雑談スタンスその3
相手にも自分に触れる – 理屈も感覚も言葉にする

相手の隣に並んでしっかりと目も耳もすましていれば、相手の言葉がはっきりと聞こえてきます。でも、はっきり聞こえるからといって意味がすぐ分かる訳ではないですよね。むしろ「どこか違和感がある」だったり「何か違った感情がわき上がる」ということもあると思います。

そんな風に自分の中から感情や言葉が浮かび上がってきたら、相手の考えや感情を大切にするのと同じように、それも大事にして相手に伝えてみます。
それが、自分をより「そこにいる」状態にすることだし、より相手の「隣に並ぶ」ことだから。

 

 

こうして雑談をすることで、相手と自分の物事の受け止め方や判断の、違いの「一線」がどこにあるのかを認識しあえるようになります。

そしてその一線の「現れ方」を一つでも知ることで、相手の行動や決断を目や耳にしたときに、そこに至るプロセスに思いを馳せることができるようになります。自分にとって大事な「一線」が現れてきたときには、それについて雑談(対話)しやすくなります。

 

 

これが「相手を知る」ってことじゃないかな。

「違い」をざっくりと見るだけじゃなくて、本当に違う部分を狭めていく。そうすると、お互いが「まあいいじゃないか」って、白黒つけずに実はグレーのままで構わない「当事者判断でOK」という部分が広がっていく。

今よりも相手を知ることで、お互いの違いの中で「折り合い」をつける方法を探りやすくなります。

こうしたプロセスなしで「多様性が大切だ」と言っていても、多様になるのではなく細かくバラバラになるだけな気がするんですよね。

 

 

最初はこの後、「雑談が民主主義にグレーを差し込み拡げる」「多様性が多様性のままであるために」って、ここから多様性と民主主義の話まで書くつもりだったんだけど、息切れした…。

そんな話はまた今度、たくさん雑談してから書くこととしますね。

Happy Collaboration!