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集団的実践としての未来 – 夢を真剣に受け止める

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Bespokeのファウンダー、ニックが書いた『Taking Dreams Seriously: The Future As A Collective Exercise.』がとてもすばらしくて、みんなに読んでほしいと強く思いました。

フューチャーズ・デザイナーに。デンマーク文化を好きな人に。夢と未来を諦めたくない人に。

 

 

私は独裁政権下で生まれました。自分自身、あまりこのことをきちんと考えてきませんでしたが、時折こう思うことがあります。「幼少期の私の世界観は、好むと好まざるとにかかわらず、ジョージ・オーウェルが描いた<監視社会>要素の影響を受けざるを得なかったのだろう」と。

 

私の人生の最初の4年間は、チリにおけるアウグスト・ピノチェトの冷酷な独裁政権の最後の4年と偶然にも重なりました。まだ幼かった私自身がそこで特殊な何かを経験したわけではありません、しかしその後の数十年間におよぶ文化的、政治的、感情的な反動が、私自身を形作っていったのは間違いないでしょう。

 

私が「n」と「o」を組み合わせると「ノー」という言葉になるのを知ったのは、政権についての国民投票の際、首都サンティアゴの壁に並んで描かれていたその2文字を見たときでした。そしてもうこれ以上の軍政維持に「ノー」と人びとの声が響く中、チリに民主主義が戻ってきました。

 

ピノチェト打倒のキャンペーン・スローガンは「幸福がやってくる」でした。でも、幸福は実際やってきたのでしょうか?

 

私は90年代のチリで育ちました。楽しい時代でした。

 

失踪者、拷問、政治的訴追のチリではありません。

 

爆発的好景気、クレジットカード、ナイキスニーカー、MTV、自由貿易協定、そして17年以上閉ざされていたエキサイティングなグローバル化社会への扉。民主主義はその約束を裏切りませんでした。新自由主義もです。

 

私たちはその暮らしを愛しました。長く暗い投獄生活の後に初めて光を目にする人たちのように、私たちは差し出されるものなんにでもイエスと答えていました。すべてのものを剥ぎ取られた後では、それがなんであれ神からの贈り物のように感じるものです。ジャーナリストのナオミ・クラインは『ショック・ドクトリン』(惨事便乗型市場原理主義)とそれを呼んでいます。

 

チリの著名な経済学者のグループである「シカゴ・ボーイズ」は、ミルトン・フリードマンとアーノルド・ハーバーガーから直々に学んだことを完璧に実行しました。彼らは資本主義をパンパンに詰め込んだバッグを手に、イリノイからサンティアゴまで何千マイルも飛んでくると、世界の終わりにあるこの小さな国を住処としてそのバッグを開きました。経済的奇跡のスタートです。いかなるものもそれを止めはしませんでした。

 

そこには国が経験した大規模な集団的トラウマを乗り越える時間はありませんでした。疑問を呈する時間すら無いまま、かつての国営教育と医療制度は成長産業となり、国中のそこかしこに私立大学や私立病院が雨後の筍のように現れ、両手を広げ笑顔で人びとを迎え入れていました。もちろん、そのコストを喜んで支払える者たちだけを。

 

チリの夢はいきいきしていました。私たちの世代は、医療問題という犠牲と引き換えに、豊かな未来を約束する奇跡的な保険である高等教育という一生の恩恵を手にしたのです。

 

もっと買う、もっと借りる、もっと成長する。それが何であれ先進国になるのに必要とあらば。私たちは「ラテンアメリカジャガー」を名乗り続けたかったのです。それは無謀な資本主義のワールドカップでした。度を越していました。

 

直情的な成長レースが続く中で、私たちは明らかな危機の後に必ずすべき基本事項を忘れていました。それは、立ち止まり、真剣に考え、自分たちの進むべき未来の方向を定めること。共に。遠くへ向かう前に、すばやく進む前に。

 

自分たちがどんな社会を手にしたいのか、私たちはそれを夢見ることや想像することを忘れていたのです。新しい社会機構を組み上げるためには、互いの話しを聞き手を取り合うことが必要だったのに。私たちは、次の世代のためにどのような明日を築きたいのかを想像することを忘れてしまっていました。どのような文化や価値観を残していきたいのか、あるいは変えていきたいのかを、想像し議論することが必要だったのに。

 

私たちは夢を真剣に受け止めていませんでした。

 

私たちは、先進国となるために、貪欲で、個人主義的で、飢え渇いていました。もっと良くなりたい、もっと良くしたい、もっと良いものを所有したいと。

 

しかし奥底では、集団的な方向性を欠いていることに気づいていました。私たちを団結させる共通の夢も高い目標もそこにはありませんでした。金持ちはもっと金持ちに、そして貧乏人はもっと貧乏になっていきました。

 

経済的成功が私たちの社会の繁栄の鍵であり、そのための決定的な手段であることは間違いありません。しかし、それは繁栄のすべてを表すものではありません。

 

経済的成功だけでは、私たちは集団として団結することはできません。幸福や満足を促進し、私たちの間の社会的一体感を強め、進むべき方向性やその意義を見出すにはそれは不十分なのです。

 

誰が他者を気にかけるのでしょうか? 次世代と、彼らがどうにかして共に暮らさねばならない汚染を誰が気にかけるのでしょうか? ほんのわずかな大企業のために完全に破壊され尽くされる原生林、海、氷河、生態系を、誰が気にかけるのでしょうか?

 

私の問題じゃない。まだ違う。

 

高校生のとき、何らかの理由でクラス全体が大騒ぎとなったことがありました。先生の一人が怒り、「君らは独裁政権の子どもたちだ!」と私たちに怒鳴ったのを覚えています。長年の抑圧と欲求不満に深く傷ついていた彼の精神と、私たち高校生の無邪気なそれとは対照的でした。私たちには理解できませんでした。独裁とは、目に見えるものや定量化できるものだったり、特定の人たちの恐怖だったり、悪意に満ちた巻き添え被害だけを意味するのものではなかったのです。

 

私は運が良かったのかもしれません、自身が肉体的に軍事体制の残忍さの餌食となることはありませんでした。しかし専制政治は私を育てた環境を作り出したものであり、数十年後にその爪痕を私たちの世代に浮き上がらせたのです。

 

それは砂漠の蜃気楼のように人びとを目先の利益に血眼にさせました。そして自らが課した物質主義的な生き方は、遅かれ早かれ恐ろしく高額な請求書を私たちのテーブルに持ってくることでしょう。

 

チリ以外のあちこちでも、不可逆的に狭窄された認知構造と持続不可能な社会的枠組みを目にします。私たちはただのモルモットに過ぎませんでした。グローバル経済社会と政治的景観は数十年にわたりそれらに支配され続け、地球と特権を持たぬ人びとを犠牲にすることで、歴史上これまでにない快適さと進歩を人間にもたらしてきました。このパラドックスは理解し難いものです。しかし良くも悪くも、ついにその亀裂が現れ始めています。

 

いいえ、なにもビジネスを糾弾をしようというわけではありません、誤解なきよう。私も事業を営んでおり、世界中の企業や組織と協力している身です。その意義によりビジネスが人びとを行動へと導くとき、ポジティブな影響が個人やコミュニティーを花開かせることがあるということを、私も自らの身をもって理解しています。しかし、経済的成功の追求のために人類の幸福と生態系の健康を犠牲にすることには、疑問を呈せざるを得ません。そんなものは無意味なラットレースに過ぎない。

 

深く根付いた個人主義と果てしない成長、この2つは相反するパラダイムと捉えられていますが、世界に名高いデンマーク集団主義的アプローチによる生活は、それを実現しています。私はデンマーク人の中で暮らしてきたこの10年間で、それを身につけることができました。

 

デンマークは世界で最も幸せな国の1つであると言われており、その評判はこの地での私たちの暮らしを適切に表しています。「でも、デンマークは世界で最も抗うつ薬の消費量が多い国の1つですよね」 — その通りです。最も幸せな国であっても問題のない場所などはなく、デンマークも例外ではありません。一般論として語ることにはリスクがあります。しかしそれを承知で、私は「ほとんどのデンマーク人たちの間には、可能性を信じる感覚が共有されている」と言うことができます。私たちは信じているのです。組織が私たちを支援するためにあることを、私たちが互いを支援しあうことを、そして社会をより良いものにしていこうという強い信念を自分たちが持っていることを。そしてしっかりと心を向ければ、それが何であれ私たちは達成することができると。ビジネス、行政、市民の生みだすものにより、必ずいつか到達することができると。

 

部外者の視点から見て、デンマーク人が信頼することを教育されてきたことは明らかです。制度や機関を信頼し、お互いを信頼します。しかし最も重要なのは、自分自身を信頼することです。

 

機会均等の原則に基づき、市民の経済的および社会的幸福を保護および促進するという福祉国家の約束は、デンマークとその近隣のスカンジナビア諸国でしっかりと生き続けています。そして大方の予想とは裏腹に、その約束は経済自由度指数においても地球上で最も高い値を示しています。冷戦後の両極体制が頭に染み付いている人にとっては、不可解な矛盾と映ることでしょう。

 

デンマークはヨーロッパで最も古い州の1つで、世界最古の王国の1つとも言われています。おそらくは、集団的会話という特性も新たな出来事ではなく、多くの人びとの意識には上ることがないままに、何世代にも渡りゆっくりと培われてきたのでしょう。煮込み料理には時間が必要です。必要なのは、何よりも強い忍耐力です。そして対話は煮込み料理に最も欠かせない材料なのです。

 

民主主義政治への積極参加もデンマークの特徴です。投票資格のある人の約90%が、投票日には意見を表明しに向かいます。何かを変えたいのであれば、自らを無関心と受動性に支配されることを良しとせず、集団的エンパワーメントによる意思表示が必要です。

 

この一貫した集団的対話と共有された帰属意識がやがて行動として現れ、その行動が時間の経過とともに文化となっていきます。こうしてデンマークは可能思考を育み、自身と周囲を変化させるのは自分たちであるという、自分たちの能力と義務への確固たる信念を育む文化を生み出したのです。これは簡単なことではありません。

 

より良い未来に対する人びとの信頼は、社会の命運を決定する力を持っています。未来とは、本質的に集団的実践なのです。

 

親友のピート・シムズが以前言った言葉が、今も私の中に刻まれています。「希望とは行動の前提条件ではなく、行動の結果だ。想像することなくして行動は起こらないし、行動なくして希望が生まれることもない。

 

そのすべての成功とチャレンジをかけて、デンマークは異なる未来を想像しようとしています。もっとクリーンなエネルギー、男女の機会均等、そして何よりも人間の幸福を促進するライフスタイル。デンマークは大胆に夢を見ます。

 

未来を夢見ることができるということは、それ自体が希望なのです。意思を宣言するとき、私たちは今はまだ存在していない未来とつながります。そしてその宣言が、私たちをそこへと歩み出させてくれるのです。

 

かつて大聖堂の建設は、莫大な尽力を要するその大規模さゆえに、完成までに数十年あるいは数世紀かかることもありました。その土台を造っていた人びとは、自分たちが命あるうちにその全容を目にすることがないということを理解して取り組んでいたことでしょう。大聖堂的思考とはそれと似たもので、今日の取り組みが花開き実を結び、その恩恵を目にすることができるのは次世代になってからであるという考えを基にしています。

 

30年の月日を必要としましたが、全土にわたる数カ月にもおよぶ社会不安と大規模な反政府デモの後、2020年10月チリは大胆に夢を見ることを選び、未来に向け新たな大聖堂の建設を始めました。

 

憲法改正の是非を問う国民投票で、あらゆる年齢、社会階級、経歴のチリ人たちが改正賛成に圧倒的な支持を表明し、あらゆる分野から選出された市民グループによる憲法起草を求めました。

 

完全にまっさらなスタートです。

 

自国にとって望ましい未来がどんなもので、その追求を導く原則が何なのか。それを決めるのには、長く激しい対話や白熱した議論を避けては通ることはできないでしょう。それは困難で不確実で辛く恐ろしいものとなるはずです。しかし、それこそがまさにピノチェットが権力を離れたときに起こるべきことだったのです。

 

未来実践家として、私はこの集団的プロセスと社会的実験の結果の目撃者となることに興奮しています。国全体としてそれを行うことができるのなら、私たちが異なる現実を追い求められない理由などあるはずがありません。

 

繁栄を手にするには、私たちはどんな精神的独裁政権を打ち倒す必要があるのでしょうか?

 

私たちには、夢を真剣に受け止めねばならないときがあるのです。

 


 

 

Text: Nicolas Francisco Arroyo
Director of Foresight & Founding Partner at Bespoke Copenhagen

Translate: 八木橋パチ

Happy Collaboration!