Pachi's Blog Annex ~自薦&自選よりぬき~

『Pachi -the Collaboration Energizer-』の中から自分でも気に入っているエントリーを厳選してお届けします♪

映画『僕が跳びはねる理由』とThe Reason We Need to Jump out

僕が跳びはねる理由』(監督: ジェリー・ロスウェル)という映画を観てきました(コロナ後、初めての映画館でした)。

客席は1割も埋まっていなかったかな? 上映開始後2日目の土曜日でこの「入り」だったので、先行きはちょっと怪しいかも? 早めに観ておかないと、気づけば上映終了してた…なんてこともあるかもしれません。

そんなわけで、応援の気持ちを込めて昨日からずっと頭の中をぐるぐるしていることの一部を言葉にしてみました。

https://www.youtube.com/watch?v=ZQS1NR_AWfQ

 

『僕が跳びはねる理由』は、自閉症当事者と家族の外面と内面を、映像と音、それから原作「The Reason I Jump」のナレーションで描いていく、一風変わったドキュメンタリー映画です。

原作のオリジナル(?)は日本語の『自閉症の僕が跳びはねる理由』という、自閉症当事者の東田直樹さんが13歳だったときに書いた本で、映画はその翻訳本に救われたという翻訳家家族(息子さんが自閉症当事者)と、世界各地の当事者と家族たちの断片を切り取り、私たちに見せてくれます。

 

https://movies.kadokawa.co.jp/bokutobi/about.html

 

おれは知らなかった。…ちゃんと考えたことがこれまでありませんでした。

自閉症当事者は、言葉も思考も意思も持っている。ただ、それを言葉として発せられないだけだということを。

当事者自身が、そのことに悩み苦しんでいる。自分、家族、社会との関係それぞれに苦しんでいるということを。

 

 

自閉症当事者は、物事を認識したり、記憶とのやり取りをしたりする手段や方法論が異なっているだけだということを。

その違いを乗り越えて、周囲や社会が求めるスピード感や常識にあわせようとしてうまくいかないと、パニックとなって現れることを。

はたして、こうしたことを、どれだけの人が知っているのだろう? 理解して受け止めているのだろう?

 

 

この事実がすべての当事者に当てはまるのかどうかは、おれには分かりません。
中には、当てはまらない人もいるのかもしれません。

ただそれでも、少なくともおれの場合は「すべての人に当てはまるのではないか」と考えた方がいいのは間違いなさそうです。なぜなら、おれは想像力に乏しく、短絡的にすぐに結論を求めたり、類型化したくなる人間の代表格だからです。みんなはどうかな?

 

https://movies.kadokawa.co.jp/bokutobi/

 

西アフリカのシエラレオネで、当事者と共に苦しむ母親の姿が映し出される。

「その子は悪魔だ。森の奥深くに隠せ。川の中に捨ててこい。」と、コミュニティーから迫られると泣く姿が。

ナレーションは言う。世界では未だに自閉症当事者は悪魔と結び付けられることが珍しくないと。

日本でも、座敷牢(私宅監置: 精神病者を自宅に監禁する制度)が違法となったのは70年前で、おそらくはそれすら叶わない(?)現実がおそらくはごまんとあったのだろう。今だって、物理的なそれがなくなっただけに過ぎないのではないか。

 

 

当事者の親が言葉を詰まらせながら言う。未来を考えるのは恐ろしいと。自分たちの死後子どもがどうなるかを考えると…未来が怖いと。

そんな未来をつくっているのはおれたちだ。

 

 

いろんな意味でとても乱暴な言い草だと自覚はしている。でも言おう。極端があるからこそ、中央が「やさしい位置」になれるのだ。

人間は統計学だけでもマーケティングだけでも測れる訳がない。だから「外れ値だから」って存在しないことにして良いわけない。

でも、そんな当たり前のことを忘れて、外れ値を除外して作った「AI学習モデル」をあらゆる局面に当てはめていってしまったら、中央もその周辺もどんどん薄く細くなっていっていき、人びとはどんどん「きびしい位置」に追いやられていく。次は…誰の番だろう?

 

 

映画は問いかけてくる。
深く遠く。それが広がれば広がるほど、やさしい位置も広がっていく。

 

 

Happy Collaboration!