身内が亡くなるということ
オリジナルはこちら(2015/5/19)
「亡くな る」とい う言葉は 尊敬語で はなく丁 寧語らし く、自分 の身内に 使っても おかしく ない言葉 だそうで す 。
確か に、「× ××は死 にました 。」とい う言葉で は、その 死との時 間的、心 理的、物 理的な距 離が近い 者たちに とっては 、「死」 に対する 厳かな気 持ちをう まく込め るのがと ても難し く感じま す 。
なんとい うか、「 離れ」が すでに風 化しつつ あるよう な気配、 あるいは それに似 たような もののた ゆたい、 そんな感 じを今の 俺は受け るんです 。
書き始め たら、思 いの外う まくまと められな くて、何 度も書い たり消し たりして いるので すが、昨 日、親父 が亡くな りました 。
とても急 な話で、 多くの初 めてのこ とに見よ う見まね で対応し ています 。
事務的な 作業にも 対応しつ つ、同時 に「自分 の心の動 き方」を 脳はせっ せと分析 している みたいで す 。
そんな中 、自分に 対する意 識から、 亡くなっ た親父へ と意識の 向きを変 えざる得 ない場面 が時折訪 れて、そ んなとき に親父に 対して以 下のよう なことが 頭を巡り ます 。
うまくい かないこ とばかり だったと 思うけど 、それで もやりた いことに チャレン ジする機 会はたく さん持て た人生だ ったんじ ゃないで すか?
生活のリ ズムも、 食べたい ものも、 行きたい ところも 。とりわ け日々の 生活にお いては 、自分が したいこ とを (周りに 悪態つき ながら )好きな ようにや って暮ら していた よね 。心臓止 まるまで そうやっ てたんだ から、き っと「不 満足込み で満足」 だよね 。
皮肉な言 い回しと か、毒の ある冗談 とかが好 きだった けど、ヘ タクソだ ったよね 。
若い頃はもう少し上手だったのかな? 俺も似たようなもんなんだね。
思ったよ り早くて 突然だっ たけど、 さような ら 。
さっき死 に顔見た ら、やっ ぱり涙が ブワッと 出てきた よ。でも 、安らか そうでよ かった 。