Pachi's Blog Annex ~自薦&自選よりぬき~

『Pachi -the Collaboration Energizer-』の中から自分でも気に入っているエントリーを厳選してお届けします♪

どこへ行くかじゃなくて誰と行くか – 燃え殻さんへの感想メッセージ

オリジナルはこちら(2017/11/22)

 

「ほぼ日に載ってる感想文の”Pachi”って、ぱちさんだよね。読んですぐ分かった。」

先日会った友人にそう言われて見てみると、たしかに俺の燃え殻さんへのメッセージが掲載されていました。

ページの一番下に。

 

ちょうど本を読み終えたその日。糸井さんのツイートで、だったのかな。ほぼ日で、燃え殻さんへのメッセージを募集していることを知りました。

「きっと俺、この人と東京のどこかですれ違っていたな」なんて読みながら思う本はこれまでになかったし、「ちょっと大丈夫? いくらなんでも泣きすぎでしょねえ?」なんて妻に心配される本もなかったから。

俺の感想を燃え殻さんに読んでもらいたいなって思いました。

今回、掲載されている俺の感想を読んで、『ボクたちはみんな大人になれなかった』を読み返してみた。

ただ、今回は本ではなくて書籍化される前の連載をCakesで

 

そうしたら、関口と真田と中目黒のワゴンのアシスタントの関係がくっきりと描かれていた。

本では、どこかぼんやりとしていて、なんだかしっくりこない感じがした場面。でも「きっとこれはわざとぼかしているに違いない」と感じた場面。

 

ちょっと、衝撃的だった。

それから、どうして、Cakesの連載では最後の重要なピースとなっているこの場面が本にはないんだろうって考えた。

全体の中で、バイオレンス要素が多すぎないようにしたのかな? とか。

通り過ぎていく人間を描くには、真田と七瀬の二人は要らなかったのかな? とか。

 

答えは分からないけど、でも、本しか読んでいない人に「Cakes版も読んだ方がいいよ」って言わせるには十分な仕掛けだなって思いました。

関口、そこまでカッコいいやつだったのか。

 

そして逆に、Cakes版しか読んでいない人には、加藤(小沢)かおりとの逃避行が書かれた『東京発の銀河鉄道』とか、書籍版にしかないエピソードがすごくいいから、そっちも読んだ方がいいよって伝えたい。

きっと男の子が全員、オトコになれるわけじゃないんだよ。

 

『数えたりない夜の足音』はあのとき野音で聞いたのが最高だったな。

徹夜のバイト明けに行ったスキー場でがんがんヘビロテされてて、帰りの車の中で『Automatic』を一緒に歌ったっけ。

『やつらの足音のバラード』はギャートルズの終わりの唄だったよね。仲間のバンドがいい感じにカバーしてた。

 

美味しいもの、美しいもの、面白いものに出会った時、これを知ったら絶対喜ぶなという人が近くにいることを、2017年まで生き延びた48歳のオッサンであるところの俺は幸せと呼びたい。

燃え殻さんありがとうございました。

Happy Collaboration!

 

1968年 – 市民運動と学生運動の展示会

オリジナルはこちら(2017/11/14) 

 

千葉県佐倉市国立歴史民俗博物館に、市民運動学生運動の展示<「1968年」-無数の問いの噴出の時代->を見に行ってきました。

 

きっかけは、治部れんげさんの一連のツイートです。

 

“印象的だったのは、当時起きた様々な市民運動で使われたビラや冊子、手紙、旗などの現物。”
https://twitter.com/rengejibu/status/921285036057403392


“脱走した米兵が海外から日本の支援者に送ったハガキもあれば、サルトルからの電報も。すべて現物”

https://twitter.com/rengejibu/status/921285167171301376


“企画意図には明確に「個人」に光を当てると書いてあり、権力に対峙する反政府組織を称揚するものでないところに好感を持ちました。都内から遠いですが一見の価値あり。”

https://twitter.com/rengejibu/status/921285987480649728

 

行ってよかったです! すごく!!

私は日本の歴史や社会史に疎いのですが、そんな私でも、自分の両親が生まれた頃から自分が生まれた頃、つまりは昭和初期から1970年代という時代にはとても興味を惹かれています。

歴史というよりも、今の自分に直結した「自分ゴト」として、ですね。

また、60年代や70年代のフーテンやフラワームーブメント、そして学生運動市民運動にも昔から興味は持っていました。

 

とは言え、その興味は派手でセンセーショナルな部分に対してで、はっきり言えば<ファッションとして>、あるいは<カッコイイものとして>の視点だけで60年代や70年代を見ていました。

10代の頃から、学生運動のゲリラ的な行動やアングラ感、フォーク集会やロックともつながる反逆スピリットなどのイメージに「あこがれ」を抱き続けていたのです。

 

そんなわけで、行く前は「きっと俺は学生運動のコーナーに一番ハマるんだろうな」と思っていたのですが、今回の展示会を観てさまざまな市民・学生運動間の関係性や時間的つながり、そして当時の世の中の空気感など、ずいぶんと全体感を得られた気がしています。

そして、学生運動の展示よりも、むしろ強く興味を惹かれたのが市民運動、中でもとりわけ「ベ平連ベトナムに平和を!市民連合)」でした。

 

日本の市民・学生運動を進化させたのは、ベ平連だったんじゃないか?

組織ありきではなく、一人ひとりが自分自身の考えをベースにして、自分自身の運動を起こしていく。そこに重なるものがあれば、ゆるやかに連携する。

— そんな、べ平連のスタンスやスピリットが、私たちに今必要とされているものなのかもしれない。展示会を観てから数日経った今も、そんな気がしています。

(とは言え、まだまだよく分からないことばかりなんですけどね)

 

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以下、ランダムですがメモしてきた言葉と、そこからちょっと調べてみたことを書いてみます。

当時のことに詳しい方で「いや、そうじゃなくてね…」というのがありましたら、ぜひ教えてください。

あ、先にお伝えしておきますが、ハードな<思想的勧誘>はご遠慮願います。

 

■ 新宿はベイタンの通り道

フーテンの溜まり場だったという話や、西口地下広場がバリケードで封鎖されていたとか、そんな話は聞いたことがありしたが、この〈新宿はベイタンの通り道〉という言葉は初めて見聞きしました。

ベイタンは〈米軍燃料輸送列車〉のことで、これを妨害しようとしたデモが〈新宿騒乱〉へとつながっていったのかな、という理解です。

 

九州大学ファントム墜落

この事件のことは、つい最近までまったく知りませんでした。大学の校舎に米軍機が墜落するという、とてもショッキングな出来事です。Wikipediaには〈九州大学電算センターファントム墜落事故〉というタイトルで紹介されていました。

この事件の顛末が、大学という場に警察権力が介入するきっかけとなったようです。

…やっぱり、ことの大きさの割にあまり語られていないような。

 

■  「殺すな!」バッジ

岡本太郎の書いた〈殺すな〉という文字を和田誠がデザインし、バッジにして配っていたそうです。この話も、まったく聞いたことがありませんでした。

ググってみると、今でもちょっと表現を変えて販売しているところがあるようです。

DO NOT KILL ANYWHERE, ANYTIME
— 至極当たり前のメッセージだからこそ、受け取る側の〈余白〉に染み込んでくるの気がします。

 

ティーチ・イン、脱走兵サポート団体ジャテック、橋の下大学、ハンパク、解放空間サンチカ、〈バリケード表現〉、一人ベ平連

どれもはじめて見聞きすることで、これから少しずつ調べてみようと思っている言葉たちです。

日本が米軍のベトナム攻撃の前線基地だったこととか、米軍基地から脱走する兵たちを追った<イントレピッドの4人>と言う映画があったとか、反戦万国博覧会なるカウンターカルチャーのイベントがあったとか、<>を多用して書くバリケード表現とか…。

なんだか、知れば知るほどもっと知りたくなるキーワードが、展示会ではたくさん紹介されていました。

 

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私はあまりテレビを観る方ではないのですが、ドキュメンタリー番組は大好きで、BS-TBSの<サタデードキュメント>やBS日テレの<NNNドキュメント>、そしてフジテレビの<ザ・ノンフィクション>を録画して観ています。

なんとなくですが、ここ最近はこれらの番組で、下筌ダム反対運動や水俣病との闘争を続ける患者さんや弁護士さんなど、60年代や70年代の市民活動が取り上げられることが増えている気がします。

やっぱり、一人ひとりの行動の起こし方を、もう一度考える時期なのかも?

 

…もう一回行こうかなぁ。

 

<「1968年」-無数の問いの噴出の時代->

第1部 「平和と民主主義」・経済成長への問い

 

第2部 大学という場からの問い―全共闘運動の展開

  • 【第1章】1960年代の大学
  • 【第2章】全共闘運動の形成と展開
  • 【第3章】大学闘争の全国展開
  • 【第4章】闘争の沈静化と遺産

 

Happy Collaboration! 

 

余白と闇 - 読書メモ『「無知」の技法 Not Knowing』

オリジナルはこちら(2017/9/6)

 

「知識があること」が、常にポジティブな結果をもたらすわけではない。むしろそれがネガティブな状態を招くこともある。
— 「まあそうかな。」と多くの人がおそらく感覚的に同意するんじゃないでしょうか。知識があるが故に二の足を踏んだり、必要以上に用心深くなってしまったり…。
要するに、頭でっかちの弊害。

しかし一方で「とはいえトータルに考えれば、知識はないよりもあった方がいい。それも、あればあるほど。」とも思っているんじゃないでしょうか。
あなたは違います?

「無知」の技法 Not Knowing 不確実な世界を生き抜くための思考変革』は、人間が「知識」に対して抱くそんなアンビバレントさの心理的、社会的な理由や、それが弊害を起こす構造を丁寧に解説するところからスタートします。

そして、歴史的な出来事から日々の暮らしでの一場面、政治・経済の大事件からビジネスでのよくある光景までさまざまなストーリーを示すことで、ゆるやかに、それでいて力強く知識や知恵に対するスタンスの自主的なアップデートを迫ってきます。

 

  • 「知らない」というのは状態ではなく動作だ。無知と対峙するプロセスのことだ。
  • 左脳はいつでも秩序と理屈を探している。それが存在しない場合でも
  • 私たちはさまざまな方法で未知から逃げようとする(…)主導権を振りかざすか、受動的に引き下がるか、延々と分析を続けるか、悲観的思考(すべては最悪の事態になると想定する)に逃げ込むか、拙速な行動に出るか、多忙なふりをするか、あるいは手っ取り早い応急措置を施すか
  • 権威に対して服従していれば、知らないという不安や苦しみを感じなくてすむ。だが、盲目的に服従することは、正しい判断をする力も、本当の能力を発揮する力も奪う
  • 余白は何かが「ない」のではなく、空間が「ある」のだ

 

この本が出版されたのは2年近く前で、発売後すぐに話題になっていたようですが、私は今回初めて手にしました。そして「読むべきタイミングで読んだ」と感じました。

「知らないということをきちんと受け入れよう。受け入れた上で対峙しよう」 — これが私がこの本から受け取った一番のメッセージです。そしてそれは「今ここ自分」を受け入れることに他ならないのかな、と。 

 

 

 

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この本の書評はウェブ上にもたくさん出ているようで、私もいくつか読んでみました。そして「不思議だな」と思ったことが1つありました。

それは、本の中にたくさん出てくるおもしろい画像イメージについて、ほとんど取り上げられていないこと。

あんまりたくさんアップすると怒られてしまうかもしれないけれど、いくつか写真に撮ったのが上のものと下のものです。

 

最後に、本の最後にAPPENDIXとして付いている、心もとない不安な気持ちに耐える強さを育てるための「問い」から、一部を紹介して終わりにします。

『どんな答えが出ても、それがファイナルアンサーだと決めつけないこと』というのが注意事項ですよ!

 

 

 

 

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・知についての問い

自分にとって知識とは何か。仕事で有能とみられることをどれだけ重要視しているか。専門知識や経験は、どれだけ自分を助けているか、あるいは妨げになっているか。

・「既知と未知との境界線」についての問い

生活の中で、固定された思考回路を使っている場面は、どこにあるか。無能に見えること、あるいは無能になることを恐れずにいられるとしたら、どんなことをやってみようと思うか。

・「カップをからっぽにする」についての問い

自分にとって「手放す」とはどういう意味か。自分の命綱を持っている人は誰か。この先もその命綱が支えてくれると、どうしてわかるのか。

・「見るために目を閉じる」についての問い

新しい「見る」方法を浮かび上がらせるために、どんな「目」を閉じられるか

・「闇に飛び込む」についての問い

すでにあるものの中から、「とりあえずいじってみる」、つまり実験できるものをどう引き出せるか。

・「『未知のもの』を楽しむ」についての問い

弱さが強みになる場面はどこにあるか。職場で、どんな工夫があれば、人々が自分の弱みを見せられるようになるか。

 

答えの分かっている、知っている「問い」ばかりだったでしょうか?

もしそうなら、そんなあなたにこそ!

 

Happy Collaboration!

エンタープライズソーシャルとビッグデータ

オリジナルはこちら(2017/2/22)

 

当記事は2013年5月にin the looopに寄稿したものですが、元記事が削除されましたので転載します。


 

 エンタープライズソーシャルとビッグデータの関係

 

ここ1,2年で急速に(少なくともビジネス界隈では)市民権を得た言葉があります。「ビッグデータ」という言葉です。

きっと、毎日のように皆さんも目に耳にしているんじゃないでしょうか?

 

ではみなさん、エンタープライズソーシャルとビッグデータ、この2つの言葉には強い結び付きがあるのはご存知ですか?

 

エンタープライズソーシャルが活性化すると…

 

エンタープライズソーシャルの土台となるのは、社員一人ひとりの自律的な活動です。

なお、ここで、読者の皆さんとの認識を合わせておきたいのですが、私Pachiがエンタープライズソーシャルと書くときに指し示すのは、企業内の個人が「業務を含めた」コミュニケーションやコラボレーションを実施するプラットフォームです。

 

まれに「当社では、業務の話をエンタープライズソーシャル上で行うことは禁止しています。エンタープライズソーシャルは福利厚生の延長線上にあり、仕事から距離を置いたコミュニケーションのためのものですから。」という話を聞くこともあります。

 

エンタープライズソーシャルをどう捉えてどう使うかはもちろん自由なわけですが、福利厚生のクラブ活動が業務とみなされないように、そこで業務を行わないのであれば、私にとってはそれはのエンタープライズソーシャルの定義からは外れるものです(なお、クラブ活動はコミュニケーションの機会としてとても貴重なものだと私は思っています)。

 

エンタープライズソーシャルがうまく活用されている、活性化しているという状態は、社員一人ひとりが積極的に情報の発信者や流通者となっていることを意味します。

 

このように場が活性化しているとき、そこでは以下の図にあるフロー情報もストック情報も増え続けているはずです。

(画像はコラボレーション・エンジニア 大川宗之さんに提供いただきました)

 

簡単に、エンタープライズソーシャルにおけるフロー情報とストック情報の関係を解説しておきます。

 

多くのイノベーションが新しいアイデアや考え方によって生みだされている。
そこには強い瞬発力と拡散力で情報をフローさせるタイムライン型のツールが必要とされる。

 

しかし、イノベーションの多くは、これまでの技術の組み合わせによって編み出されることが多いのもよく知られている。
そして、用いられている技術が自社のものであれば、そのイノベーションが自社を強くする可能性は格段と高くなる。

 

自社内にストックされている有益な情報がフローに乗りやすいよう、シームレスにストックとフローの仕組みがつながっている方が良い。

 

でも、ちょっと待って下さい。

情報とその流通量の増加は、すべてが「良いこと」でしょうか。

 

エンタープライズソーシャルに対する意識や活用目的が正しく認識されていなければ、情報の増加が「無駄な情報に対する余計な作業」の増加につながる可能性も否定できないのではないでしょうか…?

 

エンタープライズソーシャルが作業の増加を招く?

 

エンタープライズソーシャル上で交わされるコミュニケーションの増加が、そこでインプットされた情報への対応作業の増加と比例していては、社員にとっては単なる「処理作業の増加」にしかならないという事になります。

 

おそらく、仕事にまじめに取り組んでいる社員は、現在すでに100%に近い業務をこなしているはずです。

そんな彼らに、これ以上の処理作業を与えることは、中長期的に考えて企業にとって良いことではないでしょう。

 

増やすべきは処理作業というやらされ仕事ではなく、目的意識から生まれる自発的な取り組みであり、それに費やすための時間です。

 

そうでなければ、自分たちを苦しめる結果になるであろう情報を、誰が好き好んで発信/流通させるでしょうか?

 

 大丈夫! たくさんのムダが減ります

 

ところで、エンタープライズソーシャルにおいて、Facebookにおける「いいね!」的な仕組みが一番役に立つのは、次の1~3のどれだと思いますか?

  1. いいね!を貰おうと社員がいい話や面白い話を書くようになり、PV(ページビュー)やUU(ユニークユーザー)が増える

  2. いい話や面白いニュースが社内に拡がりやすくなり笑い顔が増える

  3. 趣味の話などが社内に増え、コミュニケーション量が増える

 

どれも良いことではありますが、それが一番ではありません。

 

エンタープライズソーシャルにおける「いいね!」の真骨頂は、自社にとって高価値の情報や資料を高頻度、広範囲にフローさせるところにあります。

 

簡単に、高価値情報が社内に頻繁かつ広範囲にフローする仕組みを解説します。

 

ある人がいいね!した情報や資料は、その人とつながっている他の社員のタイムラインに表示されます。

 

個人によりつながっている人の多さに違いはあるものの、「いいね!する人の多さ」と「情報がタイムラインに表示される頻度」は比例します。そして「情報が表示される頻度」と「情報が活用される頻度」も比例の関係にあります。

 

また、表示頻度と活用機会が増えることで、情報が社内の別のクラスターに「飛ぶ」チャンスも増えます。

クラスター間の接点になっている人が「いいね!」をすることで、有効活用される機会が増えるのです。

 

そしてこれが積み重なっていくと、価値の高い情報や資料が社内に拡がり、それ以外のものは収束していくようになっていきます。

 

これが意味するところは「減るものもたくさんある」ということです。

具体的にいくつか挙げてみましょう。

 

  • 情報を無駄に探しまわる時間
  • すでに存在している資料をゼロから作り始めてしまうような無駄な作業の時間
  • 誰が特定の情報に詳しいかを調べまわる時間

 

エンタープライズソーシャルが企業の戦略や方向性を決める

 

ここまで、エンタープライズソーシャルのデータ増加が社員個人、あるいはグループにもたらす影響を見てきました。また、ビッグデータの「量」の側面を捉えてきました。

 

ビッグデータという言葉にはまだはっきりと定義されていない部分もあり、また、正直その言葉を聞く人によりイメージするものに大きな違いがあるのが現状だと思います。

 

自分たちに都合よく解釈したものが多いことも否めず、「胡散臭さ」を感じる人がいるのも無理もないことだろうと私自身も思っています。

それでも、大雑把には、以下のような特性があるのがビッグデータではないでしょうか。

 

  1.  データ量の多さ
  2.  データの質が非構造型だったり、不定形のものも
  3.  データソースの多元性
  4.  データの組み合わせが新しい何かにつながりやすい

 

今後、ビッグデータ活用方法や分野はより一層洗練され、マーケティングや製品開発、セールスやサポートなど、ビジネスのさまざまな局面やあらゆる部門に大きな変化をもたらす可能性が高いでしょう。

 

そして、エンタープライズソーシャル上で発生するデータも、自社発のビッグデータの主要構成要素と捉えられ、社員の意識や行動ログがその他のさまざまな情報と共に分析や解析され、自社の重要戦略や方向性を左右することになる日もそう遠くはなさそうです。

 


 

今回は、エンタープライズソーシャルとビッグデータの関係を、今とこれからの視点を交えて書きました。

 

自社のソーシャルシフトが順調に進むかどうかが、社員一人ひとりの行動次第という未来 — 私はとってもワクワクしています。

 

Happy Collaboration!

 

本物のリーダーシップとマインドセット(『女性が管理職になったら読む本』読書メモ)

オリジナルはこちら(2016/11/25)

 

『「キャリア」と「自分らしさ」を両立させる方法』という書名の本と『女性が管理職になったら読む本』という書名の本と、あなたが気になるのはどっちですか?

それでは、気になるだけじゃなくて、実際に手に取って読んでみようと思うのはどちらですか?

 

数カ月前に手に取り、すごくおもしろくて長い「自分専用読書メモ」を取ったのが上記書名の本でした。

そう一冊の同じ本で、メインタイトルが『女性が管理職になったら読む本』で副題が『「キャリア」と「自分らしさ」を両立させる方法』です。

 

IBM社内有志の「新しい働きかた研究会」でもオススメの一冊として紹介しているのですが、私はこの本を、メインタイトルとはまったく異なり、女性向けではない(むしろ男性向けだと思う)し管理職かどうかにも関係していないと思っています。
読むべきは「自分らしくあることと組織で求められる行動に、矛盾ややりづらさを感じている人」じゃないかと感じています。

 

さらには「あらゆる場所・組織で、リーダーになっている人 / リーダーになろうという意思を持っている人」にも強くオススメしたいです。

なお、ここでいうリーダーは、役職とか肩書きは一切関係がありません。そして、私が思い描いているリーダーとリーダーシップについて、この本の後書きでとても分かりやすく、ぴったりの説明が書かれていました。

 

『リーダーとは、まわりの人たちを励まし、動機付けて、行動を起こすエネルギーを与えること』ができる人

「オーセンティック・リーダーシップ」とは『現状に甘んじることなく日々自分を訓練する、自分の価値観に基づく理想を追求する』リーダーシップ

 

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こんな風に、いろいろなところでこの本のことを話していたら、昨日、訳者の、というかこの本の実質的なプロデューサーの1人であり構成者である小崎さんとじっくりお話しさせていただく機会がありました!

現在の株式会社Warisでワークスタイルクリエイターとしての活動や、前職の日本総研時代に「なでしこ銘柄」の策定に関わられていた頃のお話など、本当に私が聞いてみたかった話をいろいろ伺うことができました。

(先日『「レジリエント・カンパニー」と人を動かす指標』に書いた指標の役割:「自分たちの進むべき方向や道のりを伝えてくれる力強さと包容力を持つ、未来へ向けた地図のようなもの」だと思うと書きましたが、それに対してすごく力強いエールをいただけました。)

 

私が思うこの本の最大のポイントは以下です。

  • 社会のマインドセット(思い込みや先入観)を理解して、活用しよう
  • 自分の特質や性格を深く理解して、それに応じて「行動」を変えよう
  • 「作動的」とも呼ばれる「ヒエラルキー型の思考」と、「共同的」と呼ばれる「コミュニティー型の思考」を理解して使い分けよう

 

それぞれ、複数の側面から「なぜそうすべきか」が紹介されているのですが、この本の特徴は、それらの説明を情緒的なものに頼るのではなく、心理学の実験や統計から読み解いている点です。

いくつか、重要なデータや考察について、小崎さんがセミナーで語っている内容が文字起こしされているので、こちらを見ていただくのが分かりやすいと思います。

 

女性が「管理職になりたくない」のはなぜ? “無意識バイアス”に支配される私たちの心 (logme | ログミー より)

 

いくつか本を読みながら、とても大きく頷いてしまったところを引用して紹介します:

 

 

リーダーである私の言うとおりに動きなさい」という交換型リーダーシップでは、リーダーの指示が適切でないと質の高いアウトプットが期待できない

 

風貌や生まれもった属性はコントロールできないが、第一印象に重要な影響を与えるマインドセットや行動はコントロールすることができる

 

ネットワークの活性化は、組織の側にとっても望ましいことです。特に、フラット化が進んでいる今日の組織では、上司と部下といった組織上のつながりとは別の非公式で横断的なネットワークが果たす役割の方が重要になってきています(…)「人と人がつながり、そこにシェアやシナジーが生まれるには『信頼』が必要だ」と考えました。ここでは信頼を「他人のある行動に対して無防備でいられること」と定義しています

 

 

最後に、もう一つ気になっていること、そして小崎さんと盛り上がった話のことを書きます。

「女性は自身を過小評価してしまう傾向がある」という話がいくつかの例と共に書かれています。そして、その原因が本人や周囲の「女性は女性らしく」というマインドセットや無意識のバイアスが強く関与しているためだと。

 

でも、実際には、本人や周囲の話だけではないですよね。。ありとあらゆるところで「xxxらしさ」を求める人がいたり、それこそまったく無意識のうちに、自分が「女の子には優しくしなくちゃダメよ」とか「男の子なんだから泣かないで我慢しなさい」とか、ちゃんと考えると「にはとかなんだからとかいる?」って言葉が日常には溢れていますよ。

「らしさ」を求めているのは、他の誰でもない自分自身。

 

…もちろん、そうした細かいことすべてを気にしていたらキリがないし疲れちゃうけど、でもときどき、自分自身や身の回りを「あれ?」って見直してみるのが良さそうな気がします。

本でも紹介されている、感動的な動画を貼り付けてお終いにします。

 

 

Happy Collaboration!

「レジリエント・カンパニー」と人を動かす指標

オリジナルはこちら(2016/11/11)

 

指標(しひょう)とは、物事を判断したり評価したりするための目じるしとなるもの。

Wikipedia 指標 より)

 

先日『いい指標がもたらすもの』という記事を読み、そこに書かれていた”いい指標は人を動かす“という分析を読んで、「指標」というものの持つ意味と価値を自分の中で改めて認識しました。

私が「指標」と聞いて真っ先にイメージするのは、自分たちの進むべき方向や道のりを伝えてくれる力強さと包容力を持つ、未来へ向けた地図のようなものです(でも実は、私はまったく地図を読めない男なのですがww)。

 

今、私は仲間たちと新しい指標作りの活動を進めています。

これからまだ紆余曲折があると思うし、「ジャジャーン!」って発表したい気もあるので今の段階であまり細かくは説明しませんが、簡単に言えば「人を幸せにする組織を増やす」ための指標を作ろうとしています。

 

もちろん、どれだけ壮大なことをしようとしているかは分かっています。

でも、壮大だからこそ「作るのだ!」という意思が重要だし、意思の基に動いているからこそいろいろなことが起きやすくなるんじゃないかと思うのです。

 

活動のさなかにピーター・D・ピーダーセンさん(以降ピーターさん)という、ステキなソーシャル・デザイナーと知り合うことができました。

ピーターさんと話をしていたら、彼の考えが、私たちの取り組みととても近い部分を持っていたことに気づき、ピーターさんの著書︎ 『レジリエント・カンパニー ~なぜあの企業は時代を超えて勝ち残ったのか』を読んでみたところ…ビンゴ! ヒントに満ち溢れた一冊でした。

 

とても壮大な視点と緻密な考察、そして溢れるほどの情熱が注ぎ込まれた一冊で、私が簡単に伝えられるものではないのですが、まずは一番コアな概念の部分を少し引用します。

 


 

◼︎ レジリエント・カンパニーとは

危機に直面した時の回復力が高く、事業環境の変化に柔軟に対応し、そのストレスや不確実性の中から、次なる発展のきっかけを見出し、社会全体の健全な営みに資する行動をとる企業。

 

◼︎ レジリエント・カンパニーの「3つの特徴」と「7つの行動」

3つの特徴

  • アンカリング(Anchoring)ができている: 企業としての「拠り所」があり、社員と顧客(およびその他の利害関係者)を惹きつける魅力がある。さらに、信頼と信用を積み上げている。
  • 自己変革力(Adaptiveness)が高い: 事業環境の変化をいち早く察知し、機敏に行動に反映できるカルチャーと組織をつくっている。
  • 社会性(Alignment)を追求している: 社会の方向性(近未来市場における決定的な競争要因)と、自社の戦略と行動のベクトルが合っている。また、社会との好循環を生み出す行動に努めている。

 

7つの行動

  1.  価値観と使命を活かす(アンカリング)
  2.  信頼を積み上げる(アンカリング)
  3.  ダイナミックに学ぶ(自己変革力)
  4.  創造性と革新力を引き出す(自己変革力)
  5.  研究開発を一新する(自己変革力)
  6.  トレードオンにこだわる(社会性)
  7.  ブランドを作り直す(社会性)

 

本の中では最初にこの特徴と行動が示された上で、ではどう具体的に進めて行けば良いのか、そして先駆者として取り組んでいる企業が紹介されています。

そちらはぜひ、手に取って読んでみてください。

 

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もう一箇所、最後の方に描かれている重要なポイントが「レジリエント・カンパニーの4つの成功法則」です。

  1.  リーダーシップ+アイデアの活発な循環
  2. トランスフォーメーションへの覚悟
  3. DNAとカルチャーへの埋め込み
  4. 放射状に価値を生む

 

この4つを実現させるために大きな役割を担っているのが、企業内ソーシャルだと私は強く思っています。

『レジリエント・カンパニー』の中で、トップ・ダウン・アップ、あるいはボトム・アップ・ダウンという言葉で紹介されているのは、経営層の構想が会社の隅々にまで浸透し、ボトム・アップで現場から出てきた経験や課題が経営層にまでしっかりと届き、それらがそれぞれの考えや行動に結びついていく活発なアイデアや意識の流れの重要性です。
これを実現させるのは、『見て見ぬふりをするのではなく、むしろ、改善のためにスピーク・アウトすることが、自分の責任だと感じている』社員を増やしていくことに他ならないし、『自社のDNAやカルチャーにまで新しい行動を落とし込むための努力』を経営層が怠らないことです。
社員が、時間や場所の制約を超え、内面から湧き出る多様性を発揮できる場所として、社内ソーシャルはアイデアや意識を磨き循環させる、とても重要な仕組みだと思うのです。

 

最後に、昨日のピーターさんとのディスカッションの一部を紹介して終わろうと思います。

 

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■ 日本企業がトレード・オフしてきたもの

長命企業が多い日本だが、それは「自分を押し殺して耐え忍び守ってもらう」という社員のトレード・オフに基づいていたのではないか。

「長命の条件」が激しく変わっている現在、個人も組織もトレード・オン(何かを得る代わりに何かを諦める、捨てるではなく、両者を得る方法を見つける、あるいは見つけようという意思を持って行動すること)に踏み出す必要があるだろう。

レジリエント・カンパニーが衰退曲線を描く前に新規市場を開拓していくように、私たち個人も未来志向で、さまざまな制約を機会へと転換していこうという意思の力が重要だ。

 

Happy Collaboration!

『下り坂をそろそろと下る』を読みました - 嫌韓と新幹線と標準

オリジナルはこちら(2016/6/17)

 

この本、平田さんの「四国論」であり、「日本論」であり、「司馬遼太郎論」でもあるのです。

『琥珀色の戯言』 : [本]【読書感想】下り坂をそろそろと下る より

 

下り坂をそろそろと下る表紙

下り坂をそろそろと下る』というすばらしい本を読み終え、紹介ブログを書こうと思って皆がどんなことを書いているのかとググッてみたところ、最初に目に付いたのが上の一節でした。

一冊全体の要所要所がバランスよく捉えられていて、本の骨子はこのブログを読めば分かります。そして実際に、この読書感想を読んで本を購入したりAmazonのサイトに遷移している人も多いようです。

ただ、私個人としての「ここが一番おもしろい!」と感じたところは、『琥珀色の戯言』以外の読書感想ブログをざっと見ても、あまり取り上げられていないようでした。

それが『第五章 寂しさと向き合う–東アジア・ソウル、北京』です。

 

この良書が少しでも多くの人に興味を持ってもらえるように、私にとってのハイライトである第五章から数箇所ピックアップし、思ったことなどをコメントします。

 


 

ヘル朝鮮

いまの日韓のぎくしゃくとした関係は、下り坂を危なっかしく下りている日本と、これから下りなければならない下り坂の急勾配に足がすくんでいる韓国の、そ のどちらもが抱える同根の問題を、どちらも無いことのように振る舞って強がりながら、国を賭けてのチキンレースをしているようにしか見えない。

そしてその傍らには、青息吐息になりながらも、猛スピードで急坂を登っていく中国という巨人がいる。問題は一筋縄では解けないだろう

 

日韓ワールドカップ実行委員会の理事でもあった著者が、ベスト4になったヒディング率いる韓国への嫉妬が席巻したネット論調などを交え、さらにはここ30年の日韓関係の流れや「韓流ブームの反動」などを踏まえて書いた言葉です。

そして「ぎくしゃくとした関係」の背後には「人は誰でも自分に都合のいい情報を集めがち」というバーナム効果に下支えされた「確証バイアス」が横たわっていることと、ここ数年の嫌韓・嫌中ブームの不気味な広がりにインターネットが強く関与しているだろうと書かれています。

 

私はインターネットのポジティブサイドを信じている一人ですが、残念ながら、これは著者の言うとりで、今のネットが抱えているダークサイドの象徴的な現象だと感じています。

 

安全とは何か

 

新幹線は、絶対に事故が起きないことを前提にして制度設計がなされている(…)新幹線の運行実績は素晴らしいが、 しかし、事故はいつか起こるのだ。そして、もし事故が起こったとき、新幹線のそれは、相当に壮絶なものになるどうことは想像に難くない。欧米のライバル企 業は、高速鉄道の売り込みに当たって、当然、ここのところを突いてくるだろう。

「だって、原発は事故を引き起こしたじゃないですか」

 

世界最高峰の技術の結晶とも呼べる日本の新幹線が、なぜ「売れない」のか。なぜ海外への輸出が続々と決まらないのか。

一見分かりやすい論理的な回答だけではなく、文化的な要素からの分析がなされています。

 

一分の遅れに苦情が来る日本特有の「文化」の上に確立された、驚異的な(あるいはバカげた?)定時運行能力を、「時間通りのほうがいいに決まってい る」と疑わないのは一種の判断停止だとも書かれていて、その「文化」の下に押しつぶされている人々の忍耐や相互監視が私の頭には浮かびました。

そして最近、私は鉄道という公共交通機関が、ゆるやかに破綻に向かっているんじゃないかとぼんやり考えています。

 

文明の味気なさに耐える

 

1. 自国の文化を愛し、それを標準として他者にも強要してしまう人

2. 自国の文化を愛しつつも、それが他の文化にとっては標準とはならないことを知って、適切に振る舞える人

3. 自国の文化に違和感を感じ、それを強制されることに居心地の悪い思いをしている人。あるいは、自国の文化に自信を持てずに、他国の文化を無条件に崇拝してしまう人

4. 自国の文化に違和感を感じても、それを相対化し、どうにか折り合いをつけて生きていける人

 

2と4を増やすのが異文化理解であり、相互交流であると書かれています。

私たちはなぜ『自分たちの標準とするものが、世界の標準であるとは限らない』–この実に当たり前のことを頻繁に忘れてしまうのでしょうか。

 

それはおそらく、「自分たちの標準外」に触れる機会が圧倒的に不足しているからだと私は思います。

そしてその理由は、自らが標準外に触れる機会を避けているから。あるいはすぐ近くにあるにも関わらず、標準外を見ていないかのように、あるいはそこに存在していないかのように振る舞い続けているからではないでしょうか。

 

負けてからが強いフランス。オランダの狡猾さ。スイスの堅守。ベルギーの柔軟性。

これらは他国や他民族との戦争に勝ったり負けたりしながら身に付けていったものだろう、そして日本に戦争に負けた経験が少ないが故に…とも書かれています。

 

もちろん、今から戦争経験を積むなんて馬鹿げた話はするつもりはありませんが、日常生活のなかで「自分たちの標準外」と穏やかながらもきちんと「摩擦」を生じることが大切な気がします。

無視する、舌打ちする、眉を寄せる、それでお終いにするのではなく、なぜそう感じるのかを自問して、ときに相手にきちんと要求して、少なくとも自分自身の標準を拡げていくことが第一歩だという気がします。

 

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もし、一冊丸々読む時間がなければ、第五章の40ページだけでも読んでみることをおススメします。

 

第五章 寂しさと向き合う――東アジア・ソウル、北京

『新・冒険王』/日韓ワールドカップ嫌韓の始まり/インターネットという空間/確証バイアス/韓国の病/ヘル朝鮮/北京へ/文明と文化の違い/新幹線はなぜ売れないのか/文明の味気なさに耐える/安全とは何か/零戦のこと/最大の中堅国家/安倍政権とは何か/二つの誤謬

 

Happy Collaboration!